イエメンの砂漠に陽が落ちて(1)

沙漠に日が落ちて
夜となるころ
恋人よなつかしい
唄をうたおうよ
あの淋しい調べに
今日も涙誘う
恋人よなつかしい
唄をうたおうよ

年配の方ならご存知でしょう。昭和3年にレコーディングされ、二村定一が歌って大ヒットした「アラビアの唄」(堀内敬三訳詞)です。
私の旅は歌にまつわる行き先が多いようですが、今回のイエメン旅行もアラビアへの憧れがベースにありました。アラビアという言葉の響きに、昔の人々は東洋への異国情緒を感じていたのでしょう。今は殆んど使われなくなりましたが、かつては1,2,3とう数字をアラビア数字と呼んでいましたし、合成糊はアラビア糊と言われていました。私が小学校に上がって誕生日に始めて買ってもらった本が、アラビアン・ナイトの中の「船乗りシンドバットの冒険」でした。
アラビアを見てみたい、アラビアの国に行ってみたいという気持ちが、古いアラビアの雰囲気を残していると言われるイエメン旅行に駆り立てたのです。

イエメン、正式国名はイエメン共和国で、中東・アラビア半島の最南端にある国で、北部はサウジアラビア、東部はオマーンと国境を接し、南部はアラビア海に面しており、アデン湾を挟んでアフリカのソマリヤと対面しています。
国土の面積は日本の約1.5倍。人口は1950万人で首都はサナア。
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ここで簡単にイエメンの歴史を振り返ってみましょう。
古代:メソポタミヤとインド、中国との交易の中心地として栄える。
紀元前900年頃:シバ王国が、農耕の発達や、インド産香料、乳香の中継貿易によって繁栄。聖書にも登場する「シバの女王」 が誕生したのもこの時代。
「幸福のアラビア」と呼ばれて最も栄えた時代になる。
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525年:エチオピアの勢力から侵入を受ける。
575年:ササン朝ペルシャの支配を受ける。
7世紀:イスラム教が流入。
9世紀:ザイード派(シーア派の一派)のイマームの王家による王朝が成立。王家は近年まで存続した。
16世紀:オスマン帝国の支配下に入るが、イエメン人はオスマン帝国に対し抵抗。1世紀後にオスマン勢力を駆逐。
1839年:イギリスがアデンを始めとする南イエメンを占領。以後、南イエメンはイギリスの植民地となる。
1849年:オスマン帝国が北イエメンを再占領。
1918年:イエメン王国が独立。
1962年:軍事クーデターにより、イエメン王国が崩壊し、イエメン・アラブ共和国が成立。内戦が始まる。
1967年:英領イエメン(南イエメン)が、南イエメン人民共和国として独立。後にイエメン人民民主共和国へ改称。
1990年:北イエメン、南イエメンが合併し、現在のイエメン共和国が成立。
1994年:旧南側勢力が再独立を求め、イエメン内戦が勃発するが、約2ヶ月で鎮圧される。
1999年9月23日:国民の直接投票による初めての大統領選挙が行なわれる。

ツアーは1月11日から10日間の日程で、旅行社はユーラシア旅行社、添乗員は経験14年のベテラン・Yさん。ツアー参加者は11名とこじんまりとしたグループです。
ユーラシア旅行社にはちょっとした偏見(註)があり、今回が初参加でした。
他の旅行社と異なり日数が短いのと、3連休を挟んで金曜日夜出発、翌週の日曜日帰着と言う日程に魅力を感じたので、このツアーを選びました。
(註)以前この会社に就職活動を行っていた学生のブログに、面接で社長から「当社は儲けるために旅行業をしているのであって旅行好きの社員は要らない」と言われたとの記事が紹介されていた。

キャリアは当初カタール航空の予定でしたが、旅行社との間で行き違いがあったようで、急遽エミレーツ航空に変更となりました。
エミレーツは機材が新しく、機内サービスが良いので歓迎です。
客室乗務員の半数以上が日本人なのが有り難いし、機内食も朝食でもチョイスが出来るなど行き届いており、フルーツに缶詰を使わないのがエライ。
唯一の欠点は食事の後にドリンクが配られることで、これでは「先ずビール」にならないのが気に入りません。不満はそこだけです。

羽田―関西空港―ドバイ―サナアの航路で、乗り継ぎを含めて17時間かけてイエメンの首都サナアに到着となりました。
「タージシバホテル」にチェックインし、昼食を済ませると直ぐにサナア観光と言う忙しい日程となりました。

下の写真は国立博物館の玄関です。
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Commented by いえいえごめん at 2013-06-29 16:28 x
この、かつて北イエメンとして知られたイエメン王国はオスマン帝国から独立後イタリアと友好通商条約を結んでその勢力下に入ることを企図されるものの、いかなる列強の植民地にもならなかったんですね。多数の首長国が紛争の仲裁などを通じて英国の支配下に置かれた南と違って王国としての権力がしっかりしていたからでしょうか。その点は同じ時代の日本とよく似ているのかもしれませんね。

あるいはイタリアがエチオピア攻略に2度も失敗したような『だらしない帝国主義者だったから』とは口が裂けても言えませんよね。

(イタリアとイエメンの条約についてはwikipedia英語版より 1926年締結 別名サナア条約)

ところでこの歌は, NHKアラビア語会話のオープニングテーマに使われていませんでした?
Commented by kanekatu at 2013-07-01 10:10
いえいえごめん様
「アラビアの唄」がNHKの番組に使われているのは知らまかたです。
イエメンでうが今はツアーを企画して旅行社は無いかと思います。良い時に行けて良かったです。
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by kanekatu | 2008-01-25 15:49 | イエメン | Comments(2)

憂きな中にも旅の空


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