人気ブログランキング | 話題のタグを見る

クロアチア・スロベニア旅行記(1)

2008年5月2日より10日間の日程で「クロアチア・スロベニア」のツアーに参加しました。旅行社は「消えた添乗員」以来久々のクラブツーリズム社、参加者は21名で珍しく男性の数の方が多いというメンバーでした。添乗員はベテランのSさん(ツアコンというよりは中学の社会科の先生タイプ)。
クロアチア、スロベニア両国は、いずれも旧ユーゴスラビアから独立した国で、バルカン半島の西部に位置しています。
両国の地図は下記の通りです。
クロアチア・スロベニア旅行記(1)_c0051938_1022432.jpg


バルカン半島という言葉を聞くと、団塊の世代の方なら若かりし頃にうたごえ喫茶で歌った「バルカンの星の下で」を思い出すでしょう。
♪輝くバルカンの 星の下にて
 幼き日の思い出 瞼に描く♪
あるいはもっと年配の方なら、禁断の秘本「バルカン戦争」を心ときめかせて読みふけった経験があるかもしれません。
「バルカンは欧州の火薬庫」などという物騒な表現もありましたが、これは今もって死語になっていません。

ここで、簡単にクロアチアを中心に両国の歴史に触れてみたいと思います。
10世紀から11世紀後半にかけてクロアチア王国が形成されますが、12世紀に始めから1848年までハンガリー帝国、ハプスブルグ帝国に支配されます。
この間、15世紀の一時期にオスマン帝国による支配に代りますが、間もなくハプスブルグの支配に戻ります。
その一方、アドリア海沿岸のダルマチア地方だけは10世紀以後ヴェネツィア共和国のより支配され、1815年からはオーストリアの直轄地となるなど、他の地域と異なる歴史を歩みます。
クロアチア・スロベニア旅行記(1)_c0051938_103227.jpg


1848年の3月革命により、ハンガリーからの独立を目指しますが鎮圧され、再びハプスブルグ帝国による支配に戻ります。しかしこの経緯の中で、クロアチアの自治権が拡大します。
1918年に第一次世界大戦で敗北したオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊すると、セルビア王国などと手を結び、セルビア・クロアチア・スロベニア王国を成立させ、1929年には南部スラブ人を意味するユーゴスラビアと国名を変更します。
しかしこの国は、実態としてセルビアが支配的であったため、クロアチアの不満が鬱積してゆきます。その結果、1941年にナチス・ドイツの後押しでクロアチア独立国を成立させますが、この時に報復と称して多くのセルビア人を殺害し、その仕返しにセルビア側はクロアチア人を殺害するという事態に発展します。
この事が、後年クロアチア紛争の火種になってゆきます。

ユーゴスラビアの混乱は、チトーを指導者とするユーゴスラビア共産主義同盟らによるパルチザン闘争によりナチス・ドイツからの自力解放を勝ち取り、1945年にユーゴスラビア連邦人民共和国が成立します。
ユーゴスラビアは俗に、「7つの隣国、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字により構成される1つの国」と表現されていました。 7つの隣国とは、イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシア、アルバニア。6つの共和国はスロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア。5つの民族はスロベニア人、クロアチア人、セルビア人、マケドニア人、モンテネグロ人。4つの言語はスロベニア語、セルビア語、クロアチア語、マケドニア語。3つの宗教はカトリック、東方正教、イスラム教。2つの文字はラテン文字とキリル文字のことです。
こうした複雑な他民族国家を一まとめに出来たのは、専らチトー大統領という人物のカリスマ性に拠るものでした。

ソ連のスターリンと対立した結果、社会主義陣営からは除名され、西側からは共産主義とみなされたユーゴスラビアは、ソ連型の統制経済に対抗して自主管理社会主義という独自の経済モデルを作り、西側との経済交流も活発にするなど、非同盟の独自の道を歩んでゆきます。

しかし余りにチトー大統領個人の力に頼りすぎたため、彼の死後一気に矛盾が噴出します。
先ず、1991年にスロベニア、クロアチアが独立を宣言し、ユーゴスラビア軍とスロベニアとの戦闘は10日間で終結しますが、クロアチアとの戦争は長引き、1995年に戦闘が終結するまで多数の犠牲者を出すに至ります。
更にセルビア対クロアチアの対立は、ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争にも大きく影響し、今日に至っているわけです。
その凄まじさは、「これからは誰が自分を守ってくれるのか?という疑問に、我が民族だという答しか出なくなるのだ。」という言葉に如実に示されています。

下の写真は故チトー大統領の銅像ですが、泉下でさぞかし悩んでいるのでしょう、その表情からも窺われますね。
クロアチア・スロベニア旅行記(1)_c0051938_1031965.jpg


独立後の紛争と混乱からようやく脱して平和を取り戻したクロアチアですが、危機に瀕していた世界遺産の修復も進み、今では世界中から沢山の観光客が訪れています。
我が国も例外でなく、ここ数年はちょっとしたクロアチア観光ブームになっています。

次回から旅行記の中味に入ります。
by kanekatu | 2008-05-16 10:04 | クロアチア

憂きな中にも旅の空


by kanekatu