クロアチア・スロベニア旅行記(7)

ドブロヴニクからアドリア海沿岸を南下していくと、モンテネグロとの国境があります。バスは添乗員のパスポートだけをチェックするという簡単な入国審査で通過し、世界遺産に登録されているコトルに向かいました。
国境を越えて間もなく、トイレ休憩を兼ねてスーパーに立ち寄りました。ここもボスニア・ヘルツェゴビナと同様に物価が安い。ミネラルウォーターなどの必需品は、ここで買いだめです。
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バスはコトル湾に着きますが、ここから先の道路が通行止めになっていて、対岸までフェリーで渡ることになりました。目と鼻の先の僅かな距離ですが、車両を全て船で渡さなければならないので時間がかかります。
船着場近くの建物ですが、クロアチアではこういう建物にお目にかかったことがなく、経済格差を感じます。
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コトル湾周囲の山の景色です。
モンテネグロは福島県と同じ位の面積の小さな国です。
モンテネグロという国名は、「黒い山」を意味しています。スロベニアやクロアチアなど旧ユーゴスラビアの国は地質が石灰石なので、山が皆白く見えます。モンテネグロも同じ石灰の地質ですが、山の上まで木が茂っていて、遠くから見ると黒っぽく見えるため、こうした名前が付けられてようです。
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フェリーですが、過積載で後ろに傾いています。
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ドブロヴニクから約2時間半で、ようやくコトルの旧市街に到着です。
コトルの街の歴史は古く、古代ローマの時代に街が形成されています。12世紀にはセルビアの主要な港湾都市として発展します。
中世に入ると他のダルマチア地方と同様にヴェネツィアの支配下になり、18世紀にはオーストリアの属州になりますが、再三にわたるオスマントルコからの攻撃を耐え、遂に軍事的に占領されなかったのは、コトルの周囲を取り囲む堅固な城壁によるものです。
写真のように、山の上まで城壁が続いています。
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旧市街の門です。
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門をくぐると直ぐ目の前に時計台があります。
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コトル旧市街の街並です。
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露地は曲がりくねっていて、中世の雰囲気を醸し出しています。
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ピマ宮殿で、コトルで最も美しい建物とされています。
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コトルで最も有名なのは聖トリフォン大聖堂です。最初に建てられたのは12世紀でその穂何回か増築が行われたようです。処が1979年の大地震で大きな被害を受け、左右の塔は完全に崩壊しました。その後修復が行われ、元の姿に戻ったようですが、良く見ると塔頂部分の左右の形が異なります。予算が足らず、完全な復元が出来なかったそうです。
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内部ですが、ローマ・カトリック教会という説明でしたが、壁にイコンが何枚も飾られていて、ギリシャ正教の教会ではないだろうかと思いました。
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聖ルカ教会で、これが一番古い建物だと思われます。
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コトルの滞在は1時間弱で駆け足でしたが、魅力のある街です。
機会があれば、他のバルカン諸国と一緒に、もう一度訪れたいと思います。
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この日は元来た道をツァウタットまで戻りました。
次の日はプリトヴィツェに向かって終日移動です。
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by kanekatu | 2008-06-02 10:14 | モンテネグロ | Comments(0)

憂きな中にも旅の空


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