神しろしめす国ギリシヤ・その14
2008年 09月 13日
発掘は1829年、フランスの考古学者の手によってなされました。
「アテネ人の宝庫」は、アテネがマラトンの戦いでペルシャに勝利した感謝の印として、アポロン神に捧げたものです。正面にはドリア式の柱が2本立っています。
「アポロン神殿」は紀元前6世紀頃に建てられたと推定され、幅23m、長さ80mの広さに38本のドリア式列柱が神殿を支えていました。室内にはアポロン神の像が安置され、地下には「大地のヘソ」が置かれていて、そこで神託が行われていました。
今は6本の柱と土台を残すのみです。
演劇祭が行われていた「古代劇場」です。
4年に一度、スポーツの祭典が行われていた「競技場」です。
文化施設や体育施設を付設していたわけで、この遺跡のスケールの大きさが分かると思います。
ここでギリシャ現地で見聞きした人々の生活について少し紹介したいと思います。
幹線道路や高速道路沿いにドライブインがありますが、どの店でも必ずアルコール類を売っていました。中にはスペースの3割近くが酒の売り場という店もあり、まるで酒屋です。飲酒運転に対しする規制が緩やかなのでしょうかね。
ギリシャは山が多く、農業に適した国とはいえません、といって工場も小規模なものしかなく、一体国民はどうやって飯を食っているのだろうと訝っていました。それがアテネ近郊に近付いたらガラッと変わって、道路の両側に大きな企業や工場が並び、平野部は一面の畑です。工業も農業も、みなアテネに集中しているんだなという事が実感できました。
夏場は全く雨が降らないので、どの畑でもこうした自動散水が行われています。
デルフィのホテルで、7-8才の少女が窓ガラスを拭いていました。経営者か従業員の娘さんなのでしょうが、ヨーロッパではあまりお眼にかかれない光景だったので、写真に収めました。照れて横を向かれてしまいましたけど。
ギリシャ人の大多数がギリシャ正教に帰依していることは前に書きましたが、宗教が日常生活全般に深く係わっています。
例えば結婚式ですが、先ず教会に申し込んで挙式の日にちを決めます。婚姻届も教会が代行するので、教会での儀式がイコール法的な結婚を意味することになります。かつては全ての結婚式は教会であげていたそうですが、EUに加盟してからは、役所に届け出るだけのシヴィル・マリッジも認められるようになりました。それでも、多くのカップルは教会での挙式を選択しているそうです。
結婚式が行われるのは週末で、時間は夕方の6時から10時頃に始まり、披露パーティーが終わるのは深夜に及ぶとのこと。どうりで花嫁さんの姿を一度も見かけなかったはずです。
ギリシャ人の結婚について、かつてはプリーカという習慣がありました。女性がお嫁に行く時に、プリーカと呼ばれる多額の持参金や資産を持って行かなければならなかったのです。持参金が少ないと、嫁入り先からいびられる。だから女の子を持った家は、娘の幸せのために、必死に蓄財しなければならなかったわけです。しかし貧しくて十分な仕度がさせられない親が自殺するなどの社会問題が起き、現在はこの制度は廃止されているそうです。
日本でも昔は嫁入りに持参金を持たせるという慣わしがありましたので、似たようなものですね。
これで今回ツアーのギリシャ観光は全て終了です。
エジプト航空なので帰路が再びカイロ経由となるため、次回はカイロ市内観光を紹介します。