西バルカン6ヶ国周遊記7(マケドニア3回目)
2014年 06月 21日

オフリド郊外の風景です。

と思ったらトーチカが。こういう物騒なものが未だ残されています。

オフリド到着後、徒歩で長い坂道や階段を上りサミュエル要塞に着きました。
10-11世紀にかけてブルガリア帝国の皇帝でオフリドを首都と定めたサミュエルによって建設されたもので、マケドニアの中で最も保存状態が良好な要塞です。

ここからオフリド湖や旧市街が一望できる絶好のビューポイントです。



ここから丘を少しずつ下りながら世界遺産の教会を見学します。
聖ソフィア教会は11世紀建造のオフリドを代表する大聖堂でしたが、オスマン朝時代にイスラム寺院に転用され内部のフレスコ画が塗りつぶされてしまいました。
第二次世界大戦後に再び教会に戻され、フレスコ画の修復も進みつつあります。

細密なモザイク画が残されています。

この部分は11世紀当時のままです。

聖クリメント教会は、886年頃この地にキリスト教を布教した聖クリメントの遺骸が納められている教会です。内部は素晴らしいフレスコ画で覆われているそうですが、残念ながら工事中で見ることが出来ない。

面積348k㎡のオフリド湖は4分の3がマケドニア、4分の1がアルバニアの両国にまたがる大きな湖で透明度が高く、周囲にはマケドニアの最高峰で標高2764mのクラブ山をはじめ高峰が連なっています。
中世にこの地を訪れキリスト教の布教活動を行った聖クリメントや聖ナウムの力により、オフリドはスラブ世界のキリスト教文化の中心地として栄えました。湖畔に残る教会群は往時の繁栄を偲ばせます。
オフリド湖では湖畔の散策。

湖畔の銅像の下で遊ぶ子供たち。

その後は遊覧船に乗ってオフリド湖周囲の景色を楽しみました。



岬の先端に建つのは聖ヨハネ・カネオ教会。小さいがマケドニアを代表する教会の一つ。

遊覧船は宿泊するホテル近くの桟橋に着き下船。

ここで私が船にカメラを置き忘れると言う失態を演じました。トイレに入る時に近くのテーブルの上にカメラを置いて、慌てて下船したので忘れてしまったんです。ボーっとしていたのか置き忘れにも気づかず歩き始めたら、船長から現地ガイドに電話が入りカメラが置いてあるけどそちらのグループじゃないのかと問い合わせがあり、そこで初めて気付いたという次第。
先ほどの船着場まで船を戻してくれてカメラは無事手元に戻ってきました。お蔭でこうして皆さんに写真を見て貰えてるというわけです。
こういう親切にあうと、それだけでマケドニアという国が好きになります。
宿泊ホテルの”SILEKS”は森の中です。

夕食はホテルのバイキングでしたが、料理が冷めていて今回のツアーではこの食事だけは美味しくなかった。でも主食はアルコールなのでノープロブレム。

マケドニア観光はこの日までで、翌日は3番目の国アルバニアへ向かいます。
西バルカン6ヶ国周遊記6(マケドニア2回目)
2014年 06月 20日
この辺りがショッピングセンター。

突き当りの奥は鉄道駅で、改修して博物館にするとか。

市内を走るバスが二階建てです。

インドでの活動でノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサはアルバニア系カトリックの家に生まれ、18歳までここスコピエで暮しました。
マザー・テレサの銅像。

彼女の業績を讃える記念館が建てられ、マザー・テレサに関する資料が展示されています。

スコピエ市内で夕食。
先ずは地元のビール。

次に赤ワイン。一日の疲れが取れ活き返りますね。
今回旅行した地域ではアルコール飲料は全体的に安いですよ。ベオグラードやサラエボなどの大都市を除けば、レストランで注文してもビールなら1.5‐2ユーロ、ワインのボトルで10‐12ユーロですから呑兵衛には天国。

前菜が揚げ物。

メインは串焼き。アツアツで美味いこと。

泊りは市内の”KARPOS”。

なおホテルは地域によってバラツキがあり、大都市は概ね設備が整っていますが、地方の方は劣ります。
エレベーターが無いホテル、あっても何故か人が乗ると動かなくなるホテルなど色々。チェックインしてから再集合まで30分程しかないのに、スーツケースが来ないとシャワーも浴びれません。仕方なく4階までスーツケースをさげて階段を上った事もありました。
ただホテルによってはモーニングコールを忘れる所があるので、目覚まし時計は必要です。
参加者の中には不満の声がありましたが、私は全て満足でした。観光化されていない国にしては一応設備は整っており、心配された停電や給水停止にも遭っていません。
アルジェリアのホテルを経験してから、どこもOKです。
観光4日目は朝スコピエを出発し、3時間かけてピトラに向かいます。
スコピエ郊外で、渓谷の向かい側の切り立った崖の中腹に小さな教会が見えてきました。どうやってあそこまで行くんでしょう。

と思ったら、手前の道路脇に小さなミニチュアが置かれ、この中へ蝋燭を立て教会に向かってお祈りする仕組みのようです。

今回の訪問国はいずれも主要な産業は農業で、これといった資源もなく欧州の中では貧しい国々です。

ピトラの起源は古く紀元前4世紀、アレキサンダーの父フィリップ2世が建設したもので、当時の名前はヘラクレヤでした。マケドニア王家の家系がヘラクレスに由来している事からこの名が付けられたとか。
市内にあるヘラクレア遺跡は現在発掘が進んでおり、未だ全体の10%程度しか発掘されていないという巨大な遺跡です。

劇場。

教会。

特にタイルを使ったモザイク画が有名で、当時の工芸技術の高さを示しています。


上のモザイクの縁取りを見て下さい。このデザインからヒトラーがナチスの鉤十字のマークを考案したと言われています。
ピトラ市内のメインストリート。

町で行きあった若い女性たちとツアー参加者との記念撮影。日馬友好万歳!

市内に美術学校があるそうで、何人もの学生たちが道路で写生をしていました。

おや、こんな所にチトー元ユーゴスラヴィア大統領の胸像が。まだ人気あるんですかね。それとも昔の名残か。

ピトラでの昼食、先ずスープ。

地ビールは必須アイテム。

メインは魚。

この後、マケドニア最後の訪問地オフリドに向かいます。
西バルカン6ヶ国周遊記5(マケドニア1回目)
2014年 06月 19日
正式国名はマケドニア共和国、下の地図にあるように南はギリシャ、東はブルガリア、西はアルバニア、北はセルビアおよびコソボと四方を外国に囲まれた内陸国です。

国旗は次の通り。

国名はマケドニア(現地ではマセドニアと呼称されていた)ですが、アレキサンダー大王で有名な古代マケドニア王国との連続性はありません。
この地域は14世紀から約500年間、オスマントルコの支配下にありました。1912年の第一次バルカン戦争によりマケドニアはブルガリア、セルビア、ギリシアに3分割されます。第二次バルカン戦争でブルガリアは敗れますがマケドニアの地位は変らなかった。
1991年にユーゴスラヴィアが解体するとマケドニアは住民投票により独立、他の国々と異なり紛争や戦争を経ることなく無血独立を果たします。
マケドニアに住むアルバニア人とマケドニア人との間で武力衝突もありましたが、現在はマケドニア人政党とアルバニア人政党との連立政権による政治的安定をを指向しています。
ただマケドニア人と称する人たちは元々南スラブ人の一派であり、ギリシア語を話していた古代マケドニア人とは異なります、地理的にも古代マケドニアの半分はギリシアに属していました。
そんなわけで、どうもギリシアとしてはこの国名が気に入らない。
マケドニアは現在EUとNATO加盟を目指していますが、いずれもギリシアの反対にあって保留されています。
2005年にマケドニアは「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」の名で、正式に欧州連合加盟候補国となり、2014年ごろの加盟を目指すとしていますが、実現には国名問題がカギになりそうです。
NATO加盟はギリシャの拒否権行使によって否定されています。
アメリカは国名、NATO加盟ともにマケドニアを支持しています。
面積は2万5713k㎡と九州の約3分の2、人口は206万人。
首都はスコピエ、民族はマケドニア人が半数で他はアルバニア人、トルコ人。公用語はマケドニア語(キリル文字)とアルバニア語。宗教はマケドニア正教(東方正教)が7割、イスラムが3割。
通貨はデナル(DEN)で、1DEN=約2円。
最初の観光地は首都スコピエ。
スコピエの街を横断するようにヴァルダル川が流れていますが、その川沿いの丘の上に城砦があります。丘は芝生になっていて、この日は市民たちが集まってコンサートやダンスを楽しんでいました。

ここが城砦のテッペンです。市内が一望できます。

ここからミレニアム十字架が見えます。スコピエ郊外の山頂に建てられた高さ66mの世界最大級の十字架です。

直ぐ眼の前に見えるのはスコピエがオスマン朝により陥落して間もない1492年に建てられたイスラム寺院、ムスタファ・パシナ・ジャミーヤ。

城砦の東には18世紀前半に建てられた聖スパス協会があります。

オールドバザールの周辺はトルコ人が多く住んでいて、町の風景もオリエンタルな感じ。


ドミノに興じる男性たち、これもトルコ風。

幼い女の子がベビーカーを引いて遊んでいたのでカメラを向けたらちゃんとポーズを取ってくれました。

オスマン朝時代に造られた石橋(カメン・モスト)を渡ると市の中心街マケドニア広場。

ヴァルダル川沿いにある博物館。

マケドニア広場には歴史上の英雄豪傑や成人の銅像が並び、大きな建物も建てられています。



ひときわ巨大なのがやはりアレキサンダー大王像


銅像の下で語らい会う若者たち。

スコピエ市内観光は未だ続きますが、長くなったのでこの先は次回に回します。