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東欧旅行その6

ハンガリーの首都ブダペストの中央に、ヨーロッパ最大の川、ドナウ川が流れ、
川を隔てて、歴史的建造物の多いブダ地区と商業の町ペスト地区があります。
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ハンガリーはその名が示す通り、元々はアジアのフン族を祖先としており、
町を行く人々もアジア系が多く、身長も余り高くなく親しみ易い国です。
赤ん坊のお尻に蒙古斑があるとか、姓名は苗字が先で名前が後とか、私たち日本人とも共通点が多いのです。
言葉も似ているものがあり、因みに女性のバストは”チチ”で同じ発音です。

毎回のオリンピックで、国技といえるレスリンングや重量挙げ、投擲競技で多くのメダルを獲得している国らしく、マッチョな男性が多いようです。愛妻は、バスを降りる時運転手が必ず女性客の手を取ってくれるのに、とても感心していました。

ドナウ川が大きく曲がっている所を、ドナウベント地方と呼んでいますが、エステルゴムとかセンテンドレと云った小さな美しい町があります。
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ここにはコヴァーチ・マルギッドさん(故人)という世界的陶芸家がおられ、彼女の美術館があります。作品は殆どが人物像ですが、見ているだけで気持ちがほのぼのとするような、不思議な作品です。ハンガリー人の優しさがにじみ出ているようです。

ハンガリーは、旧ソ連からの支配を脱し市場経済に移行してから、東欧圏の中では比較的順調に経済発展してきましたが、ここ数年、社会的に置きざりになる人々の数が増し、大きな社会問題となりました。
こうした背景から2年ほど前に社会党が政権を取り、保護政策を重点に置いて政治を進めてきましたが、結果として経済が停滞し、近々政権交代が噂されています。
ロシアを含め東欧の国々はいずれも急激な市場経済化の中で、経済発展と弱者救済のバランスに悩んでいるようです。
帰国時にブダペスト空港で預けたスーツケースが、バールでこじ開けられていて、
中が荒らされていました。
ハンガリーが先進国の仲間入りするには、いま少し時間がかかりそうです。

今回で東欧旅行のシリーズは終了します。
次回の記事は、9月6日から掲載を予定しています。
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by kanekatu | 2005-08-20 05:50 | ハンガリー | Comments(2)

京都・洛東ぶらり歩き(2004/10/16)

ご好評(誰が?)にお応えして、昨年10月の京都日帰りの旅の記録です。

もし、今迄旅行した中で一番好きな場所は、一番良かった街は? と聞かれたら、
私は迷うことなく、”京都 ”と答えます。
海外にも素敵な街や、感動した観光名所も沢山ありましたが、
京都を越える所は、一ヶ所もありません。
多分これからも出てこないでしょう、
それ程京都は、私にとって別格な存在です。
春夏秋冬、いずれの時期も楽しめるのも京都の魅力の一つです。

もう数十回訪れた京都ですが、ここ2年ほどご無沙汰でしており、
久々に先週土曜日、ブラリと東山周辺の寺々を巡ってきました。
今回は観光名所から外れた寺社を中心に訪れましたので、他に観光客もなく、
寺の玄関に入っていくと急いで中から人が出てきて、三つ指突いて挨拶されたり、
文字通りマンツーマンで丁寧に案内してくれたりします。

三十三間堂の裏手にある養源院という小さなお寺は、徳川家の菩提寺で、
家康以下15代の将軍の位牌が並べてあったのには、少々驚きました。
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ここは又”関が原の戦い”のきっかけとなった、
伏見城落城の時に自刃した時の、徳川方の将兵の血糊がついた床板が、
そのままこのお寺の天井板になっています。
あの時の恨みは絶対に忘れないぞという、徳川の執念を感じます。
伏見城に未だ秀吉がいたころ、オオドロボー石川五右衛門が財宝を盗みに入り、
廊下の足音に気付かれて捕まってしまい、釜茹でにされるのですが、
その時のウグイス廊下がそっくりこの寺の廊下に移されているのも、ご愛嬌です。
静かに歩けば歩くほど、大きな音をたてる仕掛けには感心しました。
又この寺には、引き戸の上に俵屋宗達が象の絵を書いた(勿論、想像で)
杉戸絵が残されており、こちらも一見の価値があります。

七条通りを東に突き当たったところにあるのが、智積院(ちしゃくいん)で、
成田山や川崎大師などを配下に持つ
全国3000箇所の寺院の総本山であることも、今回初めて知りました。
元々が豊臣秀吉によって建てられた寺で、
庭園が、桃山時代の池泉式回遊庭園です。
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この寺には、国宝の長谷川等伯画、桜図、楓図が展示されていて、
これを見るだけでも、智積院を訪れる価値があります。

近くの方広寺には、あの有名な”鐘楼”が残されていました。
豊臣家が寄進した鐘に、”国家安康 君臣豊楽”の文字が刻まれていたのを、
家康が、”家と康を断ち切り、豊臣を栄させる”意図があると因縁をつけて、
その後大阪冬の陣を仕掛けて、豊臣家が滅亡してゆくのです。
秀吉の時代に、この地に奈良の大仏より大きな大仏を建てたのですが、
徳川の時代に、寛永通宝という銅貨の原料にされてしまいました。
鐘の外側に、人が立っているような模様がついていましたが、
これは淀君の怨念がが幽霊になったものだと、寺の人が説明してくれました。
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すぐ隣には秀吉を神として祭った豊国神社があります。
これも徳川の時代に完全に破壊されました。
今の社殿は、明治天皇によって再建されたものです。
唯一正面の唐門だけが桃山時代の栄華を偲ばせています。
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こうした歴史上由緒ある建物が、あまり人々の関心を集めることも無く、
あちこちに散在しているのも京都の魅力です。

三十三間堂内には1031体の仏像(全て国宝です!)が置かれていますが、
この前に立つと、毎回のことですが心が洗われるような気がしてきます。
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世界遺産に指定されている下鴨神社は今回初めて訪れてたのですが、
12万㎡の敷地に55棟の社殿(全て重要文化財)が立ち並び、
その威容に圧倒されます。
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今回の寺々で、俵屋宗達や長谷川等伯の描いた絵を何枚か見ましたが、
あらためて、その素晴らしさに感心しました。
大胆にデフォリメされた構図、漲る躍動感と繊細な色使い、
じっと眺めていると、400年の時の流れを忘れます。
海外でも多くの美術館を巡ってきたつもりですが、
桃山時代の1600年頃に、これだけの作品を描いた例を知りません。
この時代の日本の美術は、世界最高水準をいっていたのでしょう。

残念ですが、年々京都の町の景観が壊されてきています。
京都市街の町並保存に対する、国や地方自治体の努力が足りません。
欧米で出来ていることが、なぜ日本で出来ないのでしょうか。
京都は紅葉には少し早いのですが、木々の葉が黄色く色づき始め、
秋の強い日差しを受けて、美しく映えていました。
これから11月に掛けて、京都は日に日に華やかな季節を迎えます。
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by kanekatu | 2005-08-17 06:03 | 京都 | Comments(0)

夏の京都、奈良小旅行(2005/8/12-14)

真夏の京都、奈良は久々でした。
私は40歳過ぎてから、京都の魅力に取り付かれ、以前は毎年2回以上訪れていた時期もあります。
京都は四季折々の景観を楽しめる世界で唯一の街と、私は思っています。春は花、秋は紅葉、冬は雪景色。それなら夏の魅力はといえば、それは荒々しさです。
今回お参りに行った南禅寺も清水さんも、切り立った山を背にした高台にあり、要塞としての寺院の顔を覗かせます。歴史上の京都の戦乱では、こうした大きな寺院に陣が敷かれたのも、うなずけます。
それからもう一つ、比較的空いていて観光し易いという利点もあります。欠点はとにかくアツイことです。
今回は、お盆に入っていたせいか結構混雑していたのと、高温の上に時々にわか雨という、環境としては劣悪でしたが、さすが京都、それなりに楽しんできました。

同行の愛妻が、久しぶりの京都であったため、洛東中心の観光となりました。
最初に訪れたのは金地院、徳川時代に“黒衣の宰相”として権力をふるった僧、崇伝が築いた寺で、重文の方丈と庭園が目玉ですが、その2ヶ所が現在工事中で殆ど見ることが出来なかった。こういう場合は、拝観料を半額にして欲しいですね。まあ人影も無くひっそりとしていて、静かで良かったですけど。

お目当ての南禅寺、先ず石川五右衛門で有名な三門に上がり、京都市内と後方の東山の絶景を眺めます。三門から法堂に至る境内の木々の、特に紅葉時の美しさは、例えようがありません。私は、いつもここを見に南禅寺に来るのです。
南禅寺の中心は、方丈と方丈庭園です。秀吉寄進の方丈と、小堀遠州作の庭園の美しさは、京都の名園のなかでも屈指です。庭園に面した廊下が広く、ゆっくりと座って庭を眺められるのも好いですね。
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そして南禅寺といえば、境内のローマ式水道橋、水路閣があります。一見お寺とミスマッチに見えますが、これが見事に調和しているから不思議です。
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昼食は、創業350年の「奥丹」で湯豆腐です。暑い季節に冷房の利いた部屋で熱い料理というのは、実に贅沢ですね。味も結構でした。
以前真夏に、鴨川の川床料理というのをご馳走になったことがありますが、七輪に炭火をいれ、その上に鍋を置き、水炊きが出てきたのには驚きました。もちろん屋外でアツイ。その上、炭火の熱気と、水炊きの湯気で熱せられ、風下にいた私は眼が回りそうでした。
それを、団扇で涼をとりながら食事を頂くのですから、都人というのは何と典雅なのだろうと、ひたすら感心をした記憶があります。

モミジの永観堂は、
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紅葉の季節はさぞかしと想像しながら、哲学の道へ。

銀閣寺は、人出が多いのには参りました。前回は12月初めの人が少ない時で、未だ紅葉が残っており、実に落ち着いた雰囲気でしたのに。
銀閣寺自体、非常に優雅な建物ですから、人波にもまれて見るのは、いささか興が削がれます。
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二日目は、奈良、今回は東福寺に初めて訪れました。673年に創建された古刹で、鎌倉時代には、大和地方の守護職を務めていたというほどの権勢を極めていたようです。江戸時代の大火で、一度灰燼に帰したのですが、五重塔、
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北円堂、東金堂などは、鎌倉時代のものがそのまま残されています。
仏像を中心とした国宝、重文は、国宝館と東金堂内部に展示されています。特に眼を引いたのは、奈良時代の乾漆造(粘土で下地を作り、表面を木粉と漆で固め、その後粘土を取り除く技法)の仏像群で、とりわけ阿修羅像の造形の美しさは、比肩するものが無いでしょう。
この他、鎌倉時代の千手観音像や金剛力士像も素晴らしく、この寺は正に国宝の宝庫です。

次は、東大寺の大仏(殿)を見て、
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最終三日目は、千日詣りで混み合っていた清水寺という、
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定番コースを廻り、帰京しました。

京都は何回行っても、行く度に新しい発見のある、世界一の街です。
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by kanekatu | 2005-08-16 12:24 | 京都 | Comments(3)

東欧旅行その5

バスがチェコとの国境を越えてオーストリアに入ると、緑の丘の赤い屋根、とんがり帽子の時計台、鐘が鳴ります・・・ の景色になります。
ウイーンの森は地理的に、ヨーロッパアルプスの終点であり、東欧の大平原の起点でもあります。人種も西欧系とアジア系がほぼ半々で、これも東西の境界線となっています。
街を行き交う人々を見ていると、人種の多様さに国際都市が実感できます。

ハプスブルグ家のかつての栄光は、市の中心のシェーンブルグ宮殿の絢爛豪華ぶりに良く現れています。
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その宮殿内には、一般市民住宅用の部屋があり、現に350世帯の人々が、実際に生活しているそうですから、この辺りにも、ハプスブルグ家のおおらかさが分かります。
オーストリアは実は製造業の国で、主な産業が鉄鋼であるとか、市内の住宅の3分の1が市営住宅(社会主義国並みですね)だとか、意外な顔を持った国です。

オーストリアは日本の4分の1の大きさしかない小国ですが、中世から近代にかけて、ハプスブルグ家がヨーロッパを支配した時期があり、ウイーンはその中心都市として栄えました。
ハプスブルグ家は”汝、戦せよ。我、子を生む。”を家訓にした王朝ですから、戦争はせず、専ら各国王家との婚姻関係だけ、つまり閨閥支配でした。ありていに云えば、ベッドの上で富と権力を築いたわけですね。だから、ウイーンは文化芸術が花咲き、毎夜華やかな舞踏会が行われていたのです。
モーツアルト、ベートーベンなどの大作曲家の多くがウイーンを拠点に活動し、今でも市内いたるところで、彼らの足跡が残されています。

世界3大歌劇場であるウイーン・オペラハウスは、年間300日公演だそうで、これは文句無く世界一でしょう。
ウイーンフィルという世界最高の楽団もあります。
そしてウイーンと言えば”会議は踊る”(映画も主題歌も素敵でした)ですね。
市内に30のダンスパーティー会場があり、今でもウイーン市の成人祝いは、ダンスパーティー招待状だそうです。
そういえば、映画”第三の男”の大観覧車は、今でも健在でした。

美しくて品があり、そしてちょっと猥雑なところもあり、
ウイーンはとても魅力的な街です。
ここは是非再訪し、ステイしてみたいと思いました。
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by kanekatu | 2005-08-11 08:43 | オーストリア | Comments(3)

東欧旅行その4

ロシアからプラハに入ると、先ずその明るさに驚かされます。
街も、人の表情も、服装も、明るい。
“プラハの春”がようやく花咲いたのでしょう。
それにロシアでは滅多に見られなかった、老人が繁華街に出歩く姿が目に付きます。
チェコは、旧東欧圏ではハンガリーと並んで、経済発展の勝ち組です。
共に早くから旧ソ連に立ち向かい、民主化運動が進んだ国ほど、経済が発展しているのは偶然では無いでしょう。
プラハの街を歩いていると、どこかの西欧の都市にいると錯覚するほど、人々は豊かに見えます。
そのプラハ、モルダウ川両側に古い石作りの建物が並ぶ美しい町です。

国民一人当たりの年間ビール消費量が150リットルと世界一だそうですが、さすがチェコではビールが水より安い。そして旨い。ポテトと実に良く合う。レストランで生ビール大ジョッキが150円位(安い!)ですから、ビール党にはこたえられません。
50円の缶ビールを朝から何杯も飲みながら観光したせいか、どうもプラハは、モルダウ川と、橋と町並が綺麗だった、という印象しか残っていません。
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ああ、本当に勿体ない。

世界文化遺産にも指定されているチェスキー・クロムロフとチェスケー・ブジェヨヴィツェは、
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中世の町並をそのまま残している美しい町です。教会の尖塔に登って町を見下ろすと、
中世にタイムスリップしたような気分になります。
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by kanekatu | 2005-08-09 10:20 | チェコ | Comments(1)

東欧旅行その3

ロシアは観光客を積極的に受け入れていこうと決めて未だ5年とか。
レストラン・ホテルなどのサービス全般には、不便を感じることもありました。
ここでロシアの名誉のために、ロシアに対するイメージと実体験の差について。

”ロシアには美人がいない” そんな事はありません。
それどころか美女率が高く、私は町を歩きながら、あちらは9.7、次は9.9と
オリンピックの採点カードを頭に描きながら歩いてました。
少なくとも、ロンドンやパリよりは美女が多いのは請け合います。

”ロシア女は中年になるとみんなビヤ樽になる” 皆ではありません人によります。

”ロシアでは、乗り物は必ず遅れる” 飛行機も列車も定時運行してました。

”ロシアはどこでも行列だ” 今回の滞在で行列姿は殆んど見かけませんでした。

今回のツアー出発直前にロシア国内航空機2機の自爆テロ、私達が到着した日には、モスクワ地下鉄爆破事件が起き、翌日はあの悲惨な学校人質事件がおきました。
ここの所、ロシアは暗いニュースばかりです。
まだ真相は明らかではありませんが、いずれにしろ旧ソ連時代の負の遺産が原因であるのは、間違いないでしょう。
加えてアメリカのイラク戦争が、テロというパンドラの箱を開けてしまい、全世界にテロリストを拡散させてしまったのも、影響しているでしょう。

私の好きなロシア民謡”仕事の歌”に、次のような歌詞があります。
“死んだ親が後に残す、宝物はなにぞ、
力強く男らしい、それは仕事の歌。”
果たして現在のロシアの人々は、子供達にどんな宝物を残すのでしょうか。

写真は、サンクトペテルブルグ市内の公園で見た、新婚カップルとその友人達です。
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by kanekatu | 2005-08-07 07:09 | ロシア | Comments(0)

東欧旅行その2

翌日はサンクトペテルブルグ(旧レニングラード)に移動しました。
ロシア第二の街ですが、さすが古都という名に相応しく、静かな落ち着いた街です。
ネヴァ川を中心に街全体に運河が縦横に張り巡らされていて、360もの橋がかかり“北のヴェニス”“水の都”の名に恥じない、美しい景観を保っています。
そして何よりこの街には世界を代表するエルミタージュ美術館があります。中に入ると、収蔵品の数とスペースの広さ、見学者の多さに驚かされます。元々宮殿として使われていただけあって、建物自身が文化遺産です。
この街は、ロシア芸術の中心地でもあり、多くの劇場、文化施設と共に、二つの世界的なバレエ団があることでも知られています。

ここでは市の中心に未だレーニン像が立っており、地下鉄の駅名には、マヤコフスキーやオストロフスキーといった、旧ソ連時代の有名人の名前が、そのまま残っていました。
ガイドの警告を無視して乗った地下鉄は、市内なら35円均一でとにかく安く、駅名や乗換え表示も分かりやすく、利用し易いと感じました。昼間でも日本の通勤ラッシュ並みの混み具合でした。身長が低くつり革に手が届かない愛妻に、近くの老婦人が身を寄せてくれて、こっちへ来て、手すりにつかまりなさいと目で合図してくれました。親切ですね。

それにしても街全体を覆う暗さ、人々の表情の硬さはなんなのでしょうか。
国民性や気候風土だけでは説明つかないでしょう。
ロシアは一時期の悪性インフレで、生活が成り立たなくなった人が増えています。
経済マフィアに支配されている現在の政府に対して、大いに不満もあるようです。
今の方が良いか、昔のソ連時代のどちらがが良かったかは、人によって意見が分かれているそうです。
ただ、以前の時代が余りにひど過ぎたので、まあ今のほうが未だましかなあと、多くの人は、諦めているのではないでしょうか。

写真は、サンクトベテルグルグ、エルミタージュ美術館
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by kanekatu | 2005-08-05 09:34 | ロシア | Comments(0)

東欧への旅(2004/8/31-2004/9/9)その1

チェコの山岳部を水源とし、プラハの中心を流れるモルダウ川は,ドイツに入ってエルベ川となり、北海に注ぎます。
第二次世界大戦の末期に、フランス・ノルマンディーから上陸した米軍は東にスターリングラードで反撃に転じたソ連は西に向かって、ナチスドイツを追い詰め、エルベ川を挟んで両軍が初めて合流して、これからは二度と戦争の起きない世界にしようと握手しました。
この”エルベの誓い”から約60年、片やアメリカは唯一の超大国として世界に君臨し、もう一方のソ連はその後国家自体が解体してロシアとなり、一地方大名に成り下がり、尾羽打ち枯らす昨今です。
歳月は実に残酷なものです。
私達の2004年8月31日から10日間の今回の東欧旅行(ロシア、チェコ、オーストリア、ハンガリー)は、そのロシア・モスクワからスタートしました。

モスクワは、空港から市の中心に至るモスクワ郊外全体が大きな公園のように実にきれいに整備されています。
赤の(ロシアで、赤は美しいという意味を持ちます)広場とクレムリンは、予想以上に荘厳で、かつてのロシア帝国の威光を忍ばせています。
特に、黒柳徹子さんの髪形をした屋根を持つロシア教会は、とても美しい。
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有名な聖ワシリー教会などは、まるでディズニー映画に出てくる、おとぎの国の教会のように、カラフルでした。
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赤の広場の横にあるロシアご自慢のデパートには、他のヨーロッパ各国でもお目にかかれないような大型ブランド店が軒を連ね、華やかさを演出していましたが、殆ど人影は無く、
何か全体が作り物に見えて不自然さを感じました。
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by kanekatu | 2005-08-03 15:46 | ロシア | Comments(0)

憂きな中にも旅の空


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