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「チロル・ドロミテ・ザルツカンマングート」旅行記(4)

インスブルックでの宿泊ホテルグラヴァー・バールは外観はパッとしませんが、部屋はコンパクトで使い勝手は悪くありません。何より旧市街から200mほどと立地が良いのが魅力です。
エントランスのデザインもなかなか洒落ています。
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私たちの他に大きなグループが泊っていたのですが、よく朝見ると自転車のツーリングの人たちでした。数十名の集団で、自転車旅行をしているのでしょう。
とにかくゲルマン民族というのは自転車が好きなようで、オーストリアでも至るところでサイクリングの人を見かけます。日本と違って自転車を列車に乗せられるので、駅のホームに沢山の自転車が置かれていたり、ホームへの階段には自転車用のコンベアが設置されているのを見ました。
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インスブルック駅から東西にのびるサルールナ通りを西に向かうと、凱旋門が見えてきます。
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ここが交差点になっていて、北に向かうのがマリア・テレジア通りです。
北に向かうと正面にアンナ記念塔が見えてきます。本来は恰好の撮影スポットですが、周辺が工事中のため側面を撮っています。
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北端に旧市街があります。
インスブルックは周囲をアルプスに囲まれた地形のため、街のどこからも2000m級のアルプスの山々を見ることができます。
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旧市街の中は石畳の歩行者専用道路が続いています。
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インスブルックという地名の由来は、イン川にかかる橋という意味で、この川の辺を中心に街が発展してきました。
橋の上から見たイン川の情景です。
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それぞれの建物にはエルカーと呼ばれる出窓が連なっているのが、この町の特徴です。
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ゴルデナー・アドラーはインスブルックで最も古いホテルでした。16世紀の半ばに建てられ、王侯貴族からゲーテやハイネといった著名人が宿泊しています。
入り口の脇には、そうした著名な宿泊者の名前が、大理石に刻まれています。
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モーツァルトの名前もありますが、明らかに後から付け加えたものでしょう。
モーツァルトの生涯は不明な部分が多く、後世になって彼が大音楽家と認められるようになってから、家族や友人への手紙で足跡が判明しています。
このホテルに宿泊したのも後に分かったため、相撲の番付の張り出し横綱みたいな表示になったようです。
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インスブルックといえば「黄金の小屋根」です。旧市街の中心に位置し、16世紀末に当時の皇帝マクシミリアン1世が、広場の行事を見物するために造られたものです。
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名前の由来となっている屋根は金箔を施した銅版瓦でできていて、バルコニーの手すり部分には皇帝とその二人の妻のレリーフがはめこまれています。
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インスブルックの市内観光は、次回に続きます。
# by kanekatu | 2009-08-07 09:13 | オーストリア

「チロル・ドロミテ・ザルツカンマングート」旅行記(3)

2日目の今日は、いきなりゼーフェルダーの稜線を歩くハイキング。前日は深夜近くに到着し、シャワーを浴びたり荷物整理をしたりで睡眠がゆっくり取れないまま、朝8時にホテルを出発、ぜーフェルトに向かいました。飛行機の中で眠れない人は、こういう日程はキツイですね。
ハイキングといっても一応山岳ガイドが付きます。二人のうち一人は日本人の山本さんという方で、日本人としてガイドのライセンスを取得した第一号だそうです。
先ずはぜーフェルトのケーブルカー駅に到着。

始発のケーブルカーに乗り、標高1760mのロスヒュッテ駅に到着。
そこからロープウェイに乗り換えて、2064mのゼーフェルダー・ヨッホ駅に向かいます。
天気は快晴。添乗員から事前に防寒対策について指示がありましたが、そんなこと全く気にならない気候です。
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ヨッホ駅からゼーフェルダー・シュピッツ頂上2220mまで稜線を歩きます。途中大きな石がゴロゴロしていたり、道幅の狭い道を鎖につかまって昇り降りする場所もありましたが、往復で1時間半、周囲の雄大な景色や咲き誇る高山植物を眺めながらの、とても快適なハイキングを楽しみました。
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岩陰には一部雪が残っていて風は冷たいのですが、歩いていると汗ばむような陽気で、私は途中からT-シャツ姿になりました。
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ヨッホ駅に再集合し、ここから希望者だけロープウェイを使わず徒歩で下りることになりました。私はもちろん徒歩組です。標高差300mを下るだけですが、30分位で下りるというのは予想以上にキツイ。
ロスヒュッテに着くと一目散でレルトランに入り、生ビールを注文。これが、身体が震えるほど美味い。疲れが一気に吹き飛んだ感じでした。
これでまた昼食の時にもビールを飲むという具合に、この旅行はビール漬けでした。
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この後ケーブルカーでゼーフェルトを経てバスでホテルに戻り、着替えをして近くのレストランで昼食です。
メインはチロラーグレステル(写真)で、肉とポテトを炒めた素朴な料理ですが、これがビールと良く合うんです。
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このインスブルック旧市街のレストランでも大勢の客が昼食をとっていましたが、天気が良いので室外の席に人気がありました。
短い夏を楽しむために人々は積極的に太陽にあたります。室外のテーブルも日光があたる所から埋まっていくそうで、この辺りは日本と全く逆です。
女性たちはタンクトップなど肩や胸の上部を露わにした服装をしていて、時に目のやり場に困ることもありました(ホントは困ってない)。
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次回はいよいよインスブルックの市内観光です。
# by kanekatu | 2009-08-04 09:42 | オーストリア

「チロル・ドロミテ・ザルツカンマングート」旅行記(2)

今回のツアーを選んだ理由はただ一つ、インスブルックの町を観たかったからです。
雑誌「世界」に「パリ通信」を掲載していた故・藤村信氏が、かつてヨーロパで最も美しい街はインスブルックだと書かれたのを読んで、是非一度行ってみたいと思っていました。
このツアーが
①宿泊ホテルが街の中心にあること。ツアーによっては郊外にホテルがとってあって、気軽に街中に出られないケースが結構ある。そういうツアーでは意味がない。
②インスブルックに連泊になっている。1泊だけだで深夜に到着、翌朝出発などというスケジュールだと、街を見て回ることができない。
という条件を満たしていたからです。
プラスして南チロルとザルツカンマングートの風景が観られるというのも、魅力でした。

今回訪れたオーストリアについて簡単に紹介します。
厳密にいえば一部ドイツやイタリアもコースに含まれていますが、いずれもオーストリア・アルプスの一部あるいは南チロル地方であり、オーストリア文化圏内とみなして良いでしょう。
正式国名はオーストリア共和国、面積はおよそ日本の北海道くらいの広さで、国土の3分の2は山岳地帯です。
日本人は何となく自分の国は小さいと思っている人が多いのですが、中欧諸国の中に入れば決して小国ではありません。
オーストリアは、頭が東、尻尾が西の、ちょうどオタマジャクシのような形をしていて、その尻尾の部分に今回訪れたチロル地方があり、目のあたりにウィーンが位置しています。
人工は約820万人でその9割がゲルマン系、といってもかなり混血は進んでいるわけですが。
EUができて往来が自由になったため、東欧や中東などから沢山の人が流入してきて、首都ウィーンの街中では特にトルコ人の多さが目に付きました。
公用語はドイツ語で、宗教は約8割がカトリックだそうです。

オーストリアといえば、どうしてもハプスブルク家に触れないわけにはいかないでしょう。
1273年、ルドルフ1世が神聖ローマ帝国の皇帝になってから、以来第一次世界大戦後の1918年に崩壊するまで、およそ650年間にわたり中央ヨーロッパを支配しました。
日が没することなき帝国を築いたのは武力ではなく、一族の子女を各国の王家と婚姻を結ぶことによって支配力を高めていったのが、ハプスブルク家の最大の特長です。
マクシミリアン1世の言葉をかりるなら、「汝幸あるオーストリアよ、結婚せよ」です。つまりベッドの上でつくり上げた帝国です。

中でも有名なのが18世紀に王朝を実質支配した大公女マリア・テレジア(女帝を呼ばれるが皇帝の奥方である)です。16人の子どもをもうけ、一族を繁栄させました。
大変だったのは夫のフランツ1世で、毎夜赤マムシやらスッポンのエキスを飲んで叱咤激励されたとか。スミマセン、ついついこのテの話が好きなものですから、脱線してしまいました。
下の写真は、ウィーン王宮のマリア・テレジア像です。
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美貌で名を馳せたのは事実上最後の皇帝といわれるフランツ・ヨーゼフ1世の皇妃エリーザベトです。
身長172cm、体重50kg、ウエスト50cmというのですから、今でいうスーパーモデル並のプロポーションだったんですね。しかもこの体形が生涯変らなかったそうで、まるで由美かおるですな。入浴シーンではさぞかし視聴率が跳ね上がったでしょう。
61歳で暗殺される悲劇の王妃でしたが、この皇帝夫妻時代にウィーンの文化が大きく花開き、その姿を今にとどめています。
下の写真は夕暮れの王宮です。
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ハプスブルク帝国解体後のオーストリアは、
1938年 ナチス・ドイツによる併合。
1945年 大戦終結と共にイギリス、フランス、アメリカ、ソ連4ヶ国による共同占領が行われる。映画「第三の男」に描かれた時代。
1955年 永世中立国宣言により主権を回復。
1995年 EU加盟
と目まぐるしく歴史が動きました。
オーストリアの国旗ですが、正式なものは下の画像の通りです。
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中央には黒鷲の国章が描かれていますが、頭上の冠は自治都市を、足先の鎌とハンマーは農民と労働者を、断ち切られた鎖はナチス・ドイツからの解放を、それぞれ表しているのだそうです。

次回からまた旅行記に戻ります。
# by kanekatu | 2009-08-01 09:25 | オーストリア

「チロル・ドロミテ・ザルツカンマングート」旅行記(1)

2009年7月15日から10日間、阪急交通社「チロル・ドロミテ・ザルツカンマングート 3大ハイキングの旅」という長いタイトルのツアーに参加しました。
参加者は20名、平均年齢は65才、これでも若い方だそうです。もはやハイキングというのは、年配者の娯楽になってしまったんですね。
メンバーでは私を除くとそれぞれ登山やハイキングを趣味としている人たちで、そうした話題になると全く付いていけません。

添乗員は大藪和彦さん。とても優秀な添乗員で、さすがはプロと感心する場面が多く、いままで数十回の海外ツアーの中でもナンバー・ワンでした。
とにかくツアーメンバーに楽しんで貰おうというサービス精神には、頭が下がる思いでした。
因みに私が経験した添乗員のBEST・3はいずれも阪急交通社の人で、他の旅行社に比べ添乗員の質(国内は別として)が高いことがうかがわれます。

ヨーロパ中央を東西に横切るアルプス山脈は、東端はウィーンの森で終わるとされています。今回のツアーはその東アルプス、オーストリア・アルプス地域を中心とした旅行でした。
コースは以下の図の通りで、先ずは成田発のオーストリア航空の直行便で首都ウィーンに到着しました。オーストリア航空は初めてでしたが、サービスが行き届いていて好印象を受けました。
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ヨーロッパの中にシェンゲン条約というのがあり、その加盟15カ国間の移動は国内移動と同等に扱われます。オーストリアもその加盟国の一員で、今回のツアーでいえば一度ウィーンで入国すると、その後のドイツ、イタリアへの移動はパスポートが不要です。
これを私たちアジアで例えるならば、一度日本へ入国すれば、後はアジア各国どこへ行くにも国内線と同等に行けるということであり、随分と大胆なやり方だなと思ってしまいます。
少なくとも、私たち旅行者にとっては便利であることは間違いありません。

ウィーンでの乗り継ぎ時間が長かったため、当初の予定が変更されて短時間でしたがウィーン市内観光とレストランでの夕食が付くことになり、何だか儲かったような気分です。
バスで市内をグルリと回った後、見学といっても外観だけですが、1ヶ所ベルヴェデーレ宮殿(上宮)を訪れました。
ここは18世紀にトルコ軍の攻撃からウィーンを救ったプリンツ・オイゲン公の夏の離宮として使われていたもので、バロック様式の代表的な建築物です。
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庭園は緩やかに傾斜していて、その先にはウィーン市内を眺望することができます。
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内部は美術館になっていて、クリムトなどウィーン世紀末の画家の作品が展示されているそうですが、残念ながら時間がなく見学できません。
夕食後に再びウィーン・シュヴェヒャート空港に戻り、プロペラ機で最初の目的地インスブルックに到着。
宿泊ホテルの「グラヴァーベール」に到着したのは23時(日本時間なら午前6時)、長い長い一日が終わりました。

これから私たちが訪れたオーストリア・アルプスの風景や街の様子を、その人々と共に写真で紹介していきたいと思います。
美しい光景によって、読者の皆様が少しでも涼感を感じてもらえるようであれば幸いです。
# by kanekatu | 2009-07-30 09:29 | オーストリア

初夏の「彦根城と比叡山」へ(下)

宿泊した「コンフォートホテル彦根」の欠点はレストランが無いことで、朝食はロビー付近に市販のお握りやパン、ヨーグルト、飲み物が置かれ、そこから各自自由に皿にとり、近くに置かれたテーブルで食べると言うシステムです。味気ないけれど、無料サービスなので文句は言えません。

二日目は近江八幡市内の八幡堀周辺地域の観光でスタートしました。
ここは近江商人発祥の地として知られ、商家の一部が今も街並みとして残されています。
街の中心を東西に八幡堀が築かれ、独特の風情を醸し出しています。
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堀の両岸は遊歩道が設けられていて、ゆっくりと散策できるようになっています。
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白雲館は明治10年に建てられた旧八幡学校で、近江商人の子弟の教育のためにつくられたものです。
現在は観光案内所として使われています。
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日牟禮八幡宮は近江八幡に人々の信仰の中心で、千年を越す歴史を誇っています。
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この日は子どもの日だったので、境内には鯉のぼりが飾られ、子どもの成長を願う沢山の親子連れがお参りに訪れていました。
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商人たちが住んでいた家の一部は保存され、格子戸や見越しの松、うだつなど当時の面影を残しています。
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こういう街並みを歩いていると、それだけで気持ちが落ち着きます。

昼からはバスで比叡山に登り、延暦寺の見学です。延暦寺は世界文化遺産に登録されていて、琵琶湖と並ぶ滋賀県の観光の中心です。
延暦寺というのは特定の寺院の名前ではなく、比叡山の東塔、西塔、横川の三塔の地域の総称で、今回は先ず桜まつりが行われている西塔から見学です。
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西塔の中心である釈迦堂で、比叡山の中で最も古い建物です。
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残念ながら桜の最盛期は過ぎていましたが、それでも八重桜は美しい花をつけていました。
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東塔の中心は国宝で総本堂である根本中堂があります。
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根本中堂の中庭で、本堂は撮影禁止ですが、内部に開山以来1200年間守り継がれた「不滅の法灯」があります。
織田信長による焼き討ちで延暦寺は壊滅状態になるのですが、この法灯だけは守ったという言い伝えになっています。
この法灯を守るために、毎日一定量の油を供給せねばならないのですが、ここから「油断」という言葉が生まれたとガイドの僧侶が説明していました。
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東塔一帯は石楠花(しゃくなげ)の最盛期で、美しい花を咲かせていました。
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鐘楼では誰でも鐘を撞くことができます。
写真がボケて見えるのは、被写体の人物がボケているせいです。
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二日間の観光を終え、再びバスで名古屋に戻り、新幹線こだまで帰京しました。
久々のバスツアーでしたが、相方はとても喜んでおりました。
# by kanekatu | 2009-05-22 10:55 | 国内旅行

憂きな中にも旅の空


by kanekatu