「チロル・ドロミテ・ザルツカンマングート」旅行記(4)
2009年 08月 07日
エントランスのデザインもなかなか洒落ています。
私たちの他に大きなグループが泊っていたのですが、よく朝見ると自転車のツーリングの人たちでした。数十名の集団で、自転車旅行をしているのでしょう。
とにかくゲルマン民族というのは自転車が好きなようで、オーストリアでも至るところでサイクリングの人を見かけます。日本と違って自転車を列車に乗せられるので、駅のホームに沢山の自転車が置かれていたり、ホームへの階段には自転車用のコンベアが設置されているのを見ました。
インスブルック駅から東西にのびるサルールナ通りを西に向かうと、凱旋門が見えてきます。
ここが交差点になっていて、北に向かうのがマリア・テレジア通りです。
北に向かうと正面にアンナ記念塔が見えてきます。本来は恰好の撮影スポットですが、周辺が工事中のため側面を撮っています。
北端に旧市街があります。
インスブルックは周囲をアルプスに囲まれた地形のため、街のどこからも2000m級のアルプスの山々を見ることができます。
旧市街の中は石畳の歩行者専用道路が続いています。
インスブルックという地名の由来は、イン川にかかる橋という意味で、この川の辺を中心に街が発展してきました。
橋の上から見たイン川の情景です。
それぞれの建物にはエルカーと呼ばれる出窓が連なっているのが、この町の特徴です。
ゴルデナー・アドラーはインスブルックで最も古いホテルでした。16世紀の半ばに建てられ、王侯貴族からゲーテやハイネといった著名人が宿泊しています。
入り口の脇には、そうした著名な宿泊者の名前が、大理石に刻まれています。
モーツァルトの名前もありますが、明らかに後から付け加えたものでしょう。
モーツァルトの生涯は不明な部分が多く、後世になって彼が大音楽家と認められるようになってから、家族や友人への手紙で足跡が判明しています。
このホテルに宿泊したのも後に分かったため、相撲の番付の張り出し横綱みたいな表示になったようです。
インスブルックといえば「黄金の小屋根」です。旧市街の中心に位置し、16世紀末に当時の皇帝マクシミリアン1世が、広場の行事を見物するために造られたものです。
名前の由来となっている屋根は金箔を施した銅版瓦でできていて、バルコニーの手すり部分には皇帝とその二人の妻のレリーフがはめこまれています。
インスブルックの市内観光は、次回に続きます。