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イスラエル紀行その18

イエスの死によって全人類の罪が救済される、ここにイエスの偉大さがあることについては以前に触れました。
しかしそれでは、キリスト教の存在意義、キリスト教徒であることの意味が無くなります。そこで、「最後の審判」という概念が作られ、キリスト教徒だった者だけが救済されることになりました。この辺り、新約聖書の編纂者の巧みさを感じます。

「わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じるならば、永遠のいのちを持ち、裁きに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」(ヨハネ5.24)

十字架で死を迎えたイエスは、3日後に復活します。
イエスの遺体は亜麻布にくるまれて埋葬されるのですが、マグダラのマリアが墓に行くと、遺体が無くなっていました。マリアは途方にくれて泣き出します。

「天使たちは彼女に言う、『女よ、なぜ泣いているのか』。彼女は言う、『人々がわたしの主を移したのです。主をどこに置いたのか、わたしには分からないのです』。こう言って後ろを振り向くと、イエスが立っておられるのを認めるが、それがイエスであることが分からなかった。イエスは彼女に言われる、『女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか』。マリアは園丁だと思って、彼に言う、『主よ、もしあなたがあの方を運んだのであれば、その方をどこに置いたのか、わたしに言ってください。わたしがその方を引き取ります』。イエスは彼女に言われる、『マリアよ』。彼女は振り向いて、イエスにヘブライ語で、『ラッブーニ』と言う。先生という意味である。」(ヨハネ20.13-16)

イエスも人の子ですね。自分が処刑される時、どこかに隠れていた使徒なんかではなく、自分の遺体に一生懸命香油を塗ってくれるマグダラのマリアのところに、一番最初に現れるのです。
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この後は、他の使徒たちのところにも次々と現れます。
中にはキリストの復活をなかなか信じない使徒も出てきます。トマスです。
「ほかの弟子たちが、彼に『わたしたちは主にお目にかかった』と言うと、トマスは彼らに言った、『わたしはその手に釘のあとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない』。八日の後、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って『安かれ』と言われた。それからトマスに言われた、『あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい』。トマスはイエスに答えて言った、『わが主よ、わが神よ』。イエスは彼に言われた、『あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである』。」(ヨハネ20.25-29)

見て触って、初めて信じるというのですから、トマスは実に実証的な性格だったのでしょうね。人間はこの位慎重であるべきだと思いますが、イエスは少しご機嫌を損ねたようです。
イスラエルの現地ガイドは、復活を信じるかどうかがキリスト教徒であることの試金石だと、説明していました。使徒でさえ信じなかった位ですから、信者でない者は、そう簡単に信じられない。
私は、キリストが幽霊となって出てきたとして、自分を納得させています。

幽霊と聞くと、直ぐに恨みを晴らしに来ると思われる向きもあるでしょうが、それが全てではありません。
「野ざらし」では、骸骨になって晒されていた遺体に回向してくれた男のところに、若い女の姿の幽霊が現れ、一晩中マッサージをしてくれます。
「牡丹灯篭」では、若い女の幽霊が、生前恋い慕っていた男のもとへ毎晩通い、最後はSEXまでしてゆきます。アタシはこういう幽霊になら、是非一度会ってみたいと思ってるくらいです。
西洋でも「クリスマス・キャロル」に出てくる幽霊は、因業なスクルージに未来の姿を見せて、改心させていますよね。
最後までイエスの思想を理解しようとしなかった弟子たちの前に現れ、一人一人に諄々と説教していったと考えれば、辻褄が合うではありませんか。

そうしてイエスは復活して40日後に、オリーブ山から昇天します。

キリストの死後40年ほどして、ユダヤ戦争によってエルサレムは崩壊します。イエスが預言した通りになります。そしてユダヤ人は、長い放浪の旅に出ることになります。

次回は、ベツレヘムです。
by kanekatu | 2005-10-22 04:14 | イスラエル | Comments(11)

イスラエル紀行番外編―聖書の「?」

旅行記はここでチョット一息入れて、私が聖書の中で、謎と感じている部分に触れてみたいと思います。
新約聖書の最高のハイライトシーンは、イエスの最後の晩餐~ゲッセマネの祈り~十字架への道行、だろうと思われます。
ここで私が感じるのは、どうもイエスの使徒たちの行動が、肝心の場面で冴えないのです。
筆頭弟子のペテロの言動などは、喜劇でいえばボケ役としか思えないですね。

最後の晩餐では、イエスがユダの裏切りを予告しているのに、ペテロはヨハネに「ボスは今何て言ったの?」などと呑気な質問をしています。
「死ぬまであなたについて行きます」と言うと、イエスは「お前はニワトリが鳴く前に、私のことを知らないと3回言うだろう」と言われてしまいます。翌朝イエスが捕らえられ、周りの人から「あなたの知り合い?」と聞かれると、ペテロは、「いや知らない」と本当に3回言うことになります。そこでニワトリが「コケコッコー」と鳴き、ハッと気が付くというボケぶりです。
ゲッセマネの園では、ペテロたち三人がイエスから、これから大事なお祈りをするから、必ず眼を覚ましているようにと厳命されていたのに、イエスがいなくなるとさっさと熟睡してしまう。
吉本のコントなら、「あんた、ええ加減にせえよ」と、頭の一つも叩かれるところです。

でもペテロは未だ良いほうで、教団のトップが処刑されようというX-Day、天下の一大事に、イエスの裁判から磔刑までの間、使徒たちはその姿さえ見せません。当日活躍するのは、アリマタヤのヨセフを筆頭に、クレネ人シモン、ベロニカ、マグダラのマリアなど、どちらかと言えば脇役ばかりです。
使徒といえば当時の教団幹部です。イエスの死後布教に力を尽くし、今日のキリスト教の隆盛は、彼らの力に与って大。
しかも教典である聖書は、彼らを敬愛し、彼らを良く知る人々によって編纂されたのですから、このX-Dayでの使徒に関する聖書の記述は、どうしても疑問が残ります。

そこで、なぜ使徒たちが何もしなかったのか、使徒たちの言動を聖書に書き留めなかったのか、推測をして見ました。

推論① イザヤの預言の実行
紀元前6世紀頃に書かれた第二イザヤ書は、イエスの生涯を見事に預言しています。これはイザヤが超能力を持っていたというよりは、イエスが、イザヤの示唆した救世主の生き方に導かれて、行動したと考えるべきでしょう。
そうしますと、最後の死の迎え方もまた、イザヤ書に沿う必要があります。
イエスとしては、イザヤ書の預言通りに死を迎え、真の救世主として終わりを全うしようとした。
一方弟子たちは、イエスの死は、即教団の消滅を意味しますから、とても賛成できない。
イエスと使徒の間には、こうした葛藤が存在したのだと思われます。

推論② 教団の組織防衛
当時の状況から、イエスの逮捕と処刑は避けられないと判断して、教団としてはその存続のために、被害を最小限に抑え、勢力を温存し、組織を維持することを優先させたのではないか。
とすれば、磔刑当日に、使途とローマ兵士との無用な摩擦は避けた方がいい訳です。
その後のキリスト教の隆盛を鑑みれば、この時の判断が正しかったといえるでしょう。

推論③ 使徒は「イエスは神の子」だと信じていなかった
元々イエスの教団は、エッセネ派や熱心党などといった、既存の宗派から参加した人も多かったと推定されます。使徒や弟子達はイエスと行動を共にする中で、イエスに敬服していくのですが、イエスを本当に「神の子」として確信を持つに至らなかったのではないか。
教団といっても、実態はイエスと各弟子たちとの個別の繋がりであったとすれば、イエスが逮捕、処刑される事態になれば、組織はバラバラになります。
彼らは、その後のイエスの復活を目の当たりにして初めて、イエスが神の子であることを確信し、生涯を宣教に捧げる決意をしたのだと思います。

皆さんはどう思われますか?
ご意見を頂けると幸いです。
by kanekatu | 2005-10-19 05:30 | イスラエル | Comments(7)

イスラエル紀行その17

ブログを読んでいた愛妻から、「あんた、いつからキリスト教になったのよ。」と言われてしまいました。
ああ、心貧しき者よ、幸いなれ。

さて、このヴィア・ドロローサ(悲しみの道、道行)ですが、熱心なキリスト教徒の方々は、恐らく胸が締め付けられる思いで、この道を辿るものと想像されます。
今回は、第1~第14留まで簡単に案内しましょう。各留(station)には、各々関連した宗教施設や表示が、設置されています。
1. イエス、死刑判決を受ける。
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2. イエス、鞭打ちを受け、十字架を負わされる。
ここでイエスは、兵士達に鞭で打たれ、荊の冠をかぶせられ、十字架を負わされます。
「するとピラトは、また出て行ってユダヤ人たちに言った。『見よ、私はこの人をあたながたの前に引き出すが、それはこの人になんの罪も見出せないことを、あなたがたに知ってもらうためである』。イエスはいばらの冠をかぶり、紫に上着を着たままで外に出られると、ピラトは言った。『見よ、この人だ』。」
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「エッケ・ホモ」(ラテン語で、「見よ、この人だ」)という言葉から、この建物がエッケ・ホモ・アーチと呼ばれています。
後年キリスト教をローマ帝国が承認することを見越してか、ローマ人ピラトは悪く書かれていません。
この辺りに、聖書作者の深謀遠慮が窺われますね。
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3. イエス、十字架の重みに最初に倒れる。
イエスは、前夜の最後の晩餐以来、食物も水も一切口にしていません。その上牢獄につながれ、鞭で打たれています。
自身が磔になる十字架、相当重いものだったと想定されますが、それを担いでゴルゴタ丘に登るというのは、相当辛かった筈です。道の途中で3回倒れます。
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4。 聖母マリアが、イエスに出会う。
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5. クレネ人シモンが、イエスに代わって十字架を負う。
「十字架につけられる兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。」(マタイ27・31~32)
イエスの十字架を無理やり担がされるシモンは、北アフリカの出身でした。
このためアフリカ人やアメリカの黒人が、聖書にとても親しみを持てるようになったとされています。
ここでも、聖書作者のヨミの深さに、感心させられます。
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6. ベロニカ、イエスの顔をぬぐう。
人々のあざけりと嘲笑の渦の中で、イエスを気の毒に思ったベロニカは、血と汗を流し苦痛に歪んだイエスの顔にやさしく布を差し出します。イエスはそれを受け取ると顔を拭き、再び、それをベロニカに返します。
このハンカチに、イエスの顔が浮き上がります。このハンカチは、現在バチカンに保存されているそうです。
イエス最後の日には、こうした女性達の活躍が目立ちます。
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7. イエス、二度目に倒れる。 
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8. イエス、 悲しむ女性達を慰める。
「エルサレムの娘たちよ、わたしのために泣くことはありません。それよりも、自分と自分の子供たちの為に泣きなさい。」 (ルカ第23章28節)
9. イエス、 3度目に倒れる。

ここから10~14留は、ゴルゴタの丘に立つ聖墳墓教会の中になります。
ゴルゴタとは、しゃれこうべという意味で、地形がしゃれこうべに似ているからとか、この場所に人類最初の人間アダムの頭蓋骨が埋葬されているからとも、伝えられています。
ローマ皇帝コンスタンティヌスの母へレナは、西暦326年に聖地巡礼を行いますが、この場所で3本の十字架を発見し、ここをゴルゴタの丘と確定します。最初の教会は、336年に完成しました。
教会内部は、宗派間の争いを防止するためにオスマン帝国時代に制定された「現状維持法」が今も守られ、ローマカトリック、ギリシア、アルメニア、コプト、エチオピア、シリアの6宗派が、各々の場所を管理しています。面白いのは、教会の鍵はあるイスラム家族が世襲制で管理していることで、イエスの墓があるのに、不思議な気がします。
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10. イエス、衣を脱がされる。
11. イエス、十字架につけられる。
イエスが磔刑になっている絵画は数多いのですが、みな手首に釘が打たれています。しかし当時の磔刑というのは、拷問及び晒らしものという意味合いもありましたから、囚人が即死しては困るのです。
そのため実際には、足を支える台が十字架に取り付けられていました。ですから長時間、囚人は生きながら苦しみを味わうのです。
そこで最後のトドメをさす時は、兵士が囚人の足を折り、死亡させます。
ここにアリマタヤのヨセフが登場し、イエスだけは足を折らないように、兵士に交渉します。彼の熱心な請願により、兵士は槍でイエスの脇腹を刺し、トドメをさしたのです。
アリマタヤのヨセフとは、ルカによると「善良で正しい人」であり、最高法院の議員でもあったが、「議会の議決や行動には賛成しなかった」とあります。
当時のイエスの教団には、こうした有力なサポーターの存在が、不可欠だったのでしょう。
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12. イエス、十字架上で息を引き取る。
「昼過ぎから全地は暗くなり、3時頃になった。イエスは大声で『私の神、私の神、どうして私を見捨てられたのか。』と叫ばれた。」 (マルコ第15章33・34節)
イエスは声高く叫んで、ついに息を引き取ります。
前夜に、自分の運命を悟っていた筈のイエスのこの最後の言葉には、人の子としてのイエスの苦しみがひしひしと伝わり、胸が打たれます。
この時、イエスの身体から流れ出た血こそ、全人類の罪の穢れを浄める血でした。
イエスの十字架の真下には、アダムの墓があったとされ、こうして人間の原罪をも洗い浄める血となりました。
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13. アリマタヤのヨセフ、イエスの遺体を引き取る。
「夕方になって、アリマタヤの金持ちでヨセフという人が来た。彼もイエスの弟子になっていた。この人はピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願った。そこで、ピラトは、渡すように命じた。ヨセフはそれを取り降ろして、きれいな亜麻布に包み、岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。墓の入口には大きな石をころがしかけて帰った。そこにはマグダラのマリヤとほかのマリヤとが墓のほうを向いてすわっていた。」(マタイ27章57-66節)
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男の使途たちがみんな身を隠した中で、女性の信者たちは一部始終を見届けていたのでしょう。
全国の男性諸君、最後に頼りになるのは女性だという、これは大切な教訓ですよ。

イエスの遺体を引き取ったアリマタヤのヨセフは、恐らくは他の女性の協力を得ながら、身体を清拭し、香油を塗って後に埋葬します。この時に使われてという塗油台が今も置かれ、信者の人々がここに接吻します。
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14. イエス、埋葬される。
イエスの墓は、一度に3-4人しか中へ入れません。内部は撮影が禁止です。
祭壇の前に立つと、何とも言えない敬虔な気持ちになります。
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いつもは巡礼の人たちで混み合っているそうですが、私たちの見学した日は比較的人が少なく、各施設がゆっくり見られて幸いでした。
by kanekatu | 2005-10-17 05:16 | イスラエル | Comments(11)

イスラエル紀行その16

最後の晩餐とゲッセマネでの祈りを通して、自らの運命を悟ったイエスは、その夜のうちに神殿兵により捕らえられ牢獄に入れられます。翌日の早朝に、裁判で死刑を宣告され、ゴルゴタの丘で磔刑になるのですが、この時にイエスが歩いた道をヴィア・ドロローサ(悲しみの道)と言います。
道は、第1から第14留(station)までのコースになっています。
当時の処刑は、日本でも時代劇に“市中引き回しの上、打ち首獄門”と奉行が判決を言い渡す場面がありますが、当時のイスラエルにおいても同様に、単に命を奪うだけでなく、多くの民衆から様々な恥辱を受けた後に殺されるわけです。
ヴィア・ドロローサは、今でも両側に小さな商店がぎっしり並ぶ繁華街で、全長は1kmです。当時も今と同様の状態であったと想定されています。
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写真は第3留付近で、この辺りでイエスが十字架の重みに耐えかねて、最初に倒れた場所とされています。
両側を埋め尽くした民衆が囃し立てる中を、十字架を背負って歩かされるイエスの気持ちは、死ぬより辛かったと想像されます。
これから私たちはイエスと同じ道を辿って、ゴルゴタの丘に行くことにします。

イエスは最終的には死刑を宣告されるのですが、これは決してスンナリと行ったわけではありません。判決は最高法院で下すのですが、サドカイ派の祭司、地主貴族、パリサイ派の代表者らによって構成され、議長は大祭司カヤパです。
裁判はローマ法に則り行われますから、それ程ムチャなものでは無かった筈です。ではイエスはどんな罪状で裁かれたのでしょうか。イエスは以前から、民衆から“ダビデの子”と呼ばれ尊敬を集めていました。これを口実に、“ユダヤ王を僭称した”という罪を着せたのです。
今で言う国家反逆罪ですかね。あるいは日本の戦前でいう不敬罪かな。

それにしても、コジツケもいいところだという気がしますが、パリサイ派の強い主張により、強引な有罪判決になったものです。彼らとしては、イエスが民衆から支持を集める前に、芽を摘み取っておこうとしたのでしょう。
裁判に先立ち、パリサイ派が民衆を扇動して、イエスの処刑を求める大衆運動をしておいたのが、恐らく功を奏したのです。
いつの時代でも民衆の熱狂は、判断を誤らせることがあります。
日本の先の選挙でも、やれ刺客だ、さつきタンだ(あの人、どこが好いんですかね?)、ゆかりタンだと連日マスコミで大騒ぎしましたが・・・、あ、これは、チョット横道に逸れてしまいました。

死刑を実施する権限は最高法院にはありませんから、最後はローマ帝国から派遣されていた総督ピラトの判断となります。イエスはアントニオ要塞の、ピラトの前に引き出されます。現在はこの要塞跡はオマリーエ学校が建てられ、この中庭が第一留となっています。
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総督ピラトは、イエスを死刑にするのは、どうも気が進まなかったようです。一度は「この人には何の罪も見出せない。」と宣言するのですが、熱狂した民衆は収まらない。そこでピラトは、過越祭では囚人に恩赦を与えるという特例を持ち出し、もう一人の死刑囚バラバとイエス、どちらか一人を恩赦で解放すると提言します。
興奮した民衆は一斉に、イエスを死刑にと叫び、死刑判決が確定します。ピラトとしては、「民意の判断に委ねる」形にしたわけです。
その後すっかり悪役にされたピラトですが、彼は彼なりにイエスの死刑を回避しようと努力した点は、認めてあげるべきだと思いますが。
by kanekatu | 2005-10-14 03:18 | イスラエル | Comments(14)

憂きな中にも旅の空


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