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憧れのレバノン・12(ベイルート・最終回)

最終日はベイルート市内観光です。
レバノン議会。
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レバノンでは、国会の議員数も各宗派人口数に応じて定められています。
キリスト教マロン派は34人、イスラム教スンニ派は27人、イスラム教シーア派は27人などと配分が決まっています。
大統領はマロン派、首相はスンニ派、国会議長はシーア派から選出されるのが慣例です。
内戦を経てこうした政治機構になったのですが、これからも波乱要因になりかねない危険性をはらんでいます。

ローマ浴場(ハマム)。
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市内にはこうしたローマ時代の遺跡が残っています。右手奥には列柱が見えています。
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聖ジョージ教会は1767年に建てられたギリシア正教の教会。
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真新しいムハンマドアミーンモスク。
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アルオマーリモスクは十字軍時代の教会を。13世紀にモスクに変えたもの。
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旧市街の風景。
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旧市街の中心部付近、ブランド店が立ちならんでいます。
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バスの車窓から見た、高層ビルが林立する新市街。
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内戦の傷跡を生々しく残す旧ホリディイン。復興から取り残された様ですが、将来への戒めのためにも負の遺産として遺した方がいいかも知れません。
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最後の昼食、メインは魚のから揚げ。美味しかったですよ。
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これで全工程が無事終了です。
とても充実した旅行で、いい思い出になりました。

帰路のエミレーツ機内の様子を紹介しておきます。
ドバイ-成田間の座席配列は1-1-1で、ファーストクラス並です。
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左側はサイドテーブル。
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右側は物入れがあり、小さな荷物はここに収納できます。
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夜食は和食をチョイス、前菜代りに寿司がでました。
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なかなか豪華な夜食でした。
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レバノン旅行記も今回で最終です。最後までお付きあい頂き、有難うございます。
最初に記したように、家族とはこれを最後の海外旅行にすると約束しましたので、海外旅行記もいちおう一区切りと致します。


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by kanekatu | 2018-04-30 07:16 | レバノン | Comments(2)

憧れのレバノン(2018/3/21-28)・1

2018年3月21日から28日までの旅程でレバノンを訪れました。
旅行社は西遊旅行、キャリアはエミレーツ、添乗員はHさん。ツアー参加者は21名で、ちなみに最高齢は83歳でした。

私にとってレバノン訪問は永年の夢で、過去の2度のトライは諸事情で実現できず、今回が3度目の正直となりました。
レバノンは日本の岐阜県ほどの広さしかない小国ですが、5つの世界遺産があります。その一つは中東最大級、ということは世界最大級のローマ遺跡「バールベック」が含まれています。ここをどうしても見たかったのです。
結果は期待通りというより期待を上回る旅となりましたが、レバノンの印象を一口で表せば「不思議の国」といえましょう。
人口が400万人の国で、パレスチナからの難民50万人、シリアからの難民100万人(いずれも概数)を受け入れている、これだけでも驚きです。
レバノンの不思議さ、魅力を、これから何回かに分けた紹介してゆきます。

先ずレバノンはどの辺りにあるのかというのは下の地図で見てください。シリアの左に小さく書かれているのがそれです。
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大きくしたものが下の地図で、地中海の東端にあり地中海の沿うような形に細長くのびた国土の形をしています。

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国の中央付近を背骨のようにレバノン山脈が走り、東側のアンチレバノン山脈によってシリアと分けられます。
隣国は南部の一部がイスラエル・パレスチナと接している以外は、大半がシリアとなっています。
渓谷や高原があり、3000m級の山があるレバノン山脈ではスキーが、地中海側ではマリンスポーツが楽しめるというリゾートの適した立地は「中東のパリ」と呼ばれていました。

レバノンの基本情報は以下の通りです。
国名:レバノン共和国
国旗:中央にレバノン杉が描かれているのが特徴。
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面積:1万452㎡(岐阜県とほぼ同じ)
人口:413万人
首都:ベイルート
民族構成:アラブ人95%、アルメニア人4%、ほか1%
宗教:全部で16の宗派に分かれている。
イスラム教60%(スンニ、シーア、アラウィ、ドルーズ)
キリスト教徒40%(マロン、ギリシア正教、カトリック、プロテスタント、ほか)
言語:アラビア語が公用語、他に英語やフランス語が通じる。
通貨:レバノンポンドが基本通貨だが、米ドルが通用する。
国民一人当たりのGDP:約1万7000ドル

戦後しばらくは中東で最も豊かな国でしたが、1975年から始まった内戦が15年間も続き、その後もイスラエルやシリアとの戦闘や占領などがあって、国土は荒れてしまいました。
その影響で観光客が激減し、外国資本も引き揚げられ、レバノン人(主にキリスト教徒)の一部が外国へ移住する事態になりました。
また、イスラエルとPLOの戦闘から逃れたパレスチナ難民およそ100万人、シリア内戦から逃れたきたシリア難民およそ50万人が今もレバノン国内に留まっています。

ようやく国内が安定し、復興が進んできて、日本からのツアーも可能となってきました。
しかしシリアやイスラエルとの緊張関係は続いており、数か月前には首相が突然「身の危険を感じるので辞任したい」と言い出して世間を驚かせました。
そんなこんなで今回の旅行は家族から猛反対され、じゃこれで海外旅行は最後にするからという条件で認めさせました。
従って、海外旅行記も今回が最終となります(家族の気が変わらなければ)。

どうせ最後だからということで、エミレーツのビジネスクラスをはり込んで、快適な気分を味わいました。
空港のラウンジでゆっくり時間を過ごし、航空機に搭乗すると直ぐにおしぼりとシャンパンが出てきます。
座席の配列は2-2-2でしたが、隣席とは顔の部分が仕切られていていちおう独立性が保たれていました。
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機内食は和食を選びましたが、思ったより美味でした。
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とにかく座席が180度フラットになるのは楽ちんです。
エミレーツのビジネスの最大の特徴はバーラウンジがあることで、いつでも自由に利用できます。
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前置きはこの位にして、次回から旅行記の本題へ入ります。


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by kanekatu | 2018-04-09 07:22 | レバノン | Comments(2)

ベラルーシ・ウクライナ・モルドバ訪問記(2017/7/14-22)(1)

7月14日から「ベラルーシ・ウクライナ・モルドバ3ヶ国周遊9日間」のツアーに参加しました。
旅行社は阪急交通社で、添乗員はTさん、キャリアはアエロフロート。
メンバーは14名で、ハードな旅行愛好家が多かったようです。
このツアーのキャッチコピーが「あなたの地図の空白を埋めてみませんか」でした。
下にヨーロッパ全体の地図と、この三国周辺を拡大した地図を掲載します。
確かに周辺の国々については訪れていますが、この三国だけは空白でした。この言葉にコロッと騙されてゆく気になったというが本音です。
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上の地図を見て改めて感じるのは、特にベラルーシとウクライナは西側諸国とロシアとの結節点となっていることです。
この事が、両国が度々大きな戦乱に巻き込まれ多大な惨禍を被る原因となりました。そして、それは今も続いています。
三国に共通しているのはソ連崩壊を機に独立を果たし、社会主義から自由経済体制に移行したという点です(厳密にいえば、ベラルーシだけは少し事情が異なる)。
独立にいたる経緯などの理由から三国のロシアとの関係は一様ではありません。
最もロシアと親しい関係にあったベラルーシですが、今は少し距離を置いており、むしろ中国との関係の力を注いでいるようです。
ウクライナは旧ソ連にかわる組織としてロシアが主導したCIS(独立国家共同体)の創立メンバーでしたが、政権が親欧州色を強める中でロシアとの関係が悪化し、とりわけクリミア半島のロシアへの編入をめぐって戦争状態をなっています(現在は一時停戦)。
モルドバは歴史的に隣国ルーマニアとの関係が深いのですが、これを嫌う親ロシア系住民らが国内に沿ドニエストルという国を作り、事実上の独立状態になっています。国際的は独立国として認められたいませんが、モルドバの実効支配は及んでいません。従ってこの国を加えれば、今回の訪問国は4ヶ国になります。

路程は7月14日成田発12時のSU-0261便でモスクワを経由し、トランジットでベラルーシの首都ミンスクに向かいます。
アエロフロートのビジネスクラスは初めてでしたが、座席がフラットな状態にリクライニングできる以外は特色のないものでした。機内での映画や音楽などエンターテイメントは使わないので性能は分かりません。
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CAは全員ロシア人のようで日本語は通じません。食事のメニューだけは日本語のものが添付されていました。
和食と洋食から選べるようになっていて、洋食を選んだんですが前菜は和食が出てきました。私のヒヤリングの問題かも。
前菜。
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サラダ。
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スープ。
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メインはステーキ。アルコールはシーバスのストレート一本やりです。
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冷菓。
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スイーツ。
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機内食は質量ともにかなり充実していました。
所要時間10時間ほどでモスクワに到着。時差は6時間で、これはこの後の三国も同じです。
モスクワで入国手続きを行い、現地19時35分発SU-1832便でミンスクに向ないます。
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by kanekatu | 2017-08-01 17:52 | ベラルーシ | Comments(2)

スイス旅行(2016/6/28-7/6)1(イントロダクション)

6月28日から7泊9日でスイスに行ってきました。「スイスに行く」と言ったら家族からは「また、何でそんなマトモな国へ?」と訝られましたが、添乗員に「どこの国が良いですか?」と訊けば半数以上が「スイス」と答えます。よほどいい所なんだろうと、一度は行きたいと以前から考えていました。正確にはスイスの中のユングフラウやジュネーブには一度行ってますが、周遊は今回が初めてです。
パッケージツアーで、旅行社はJTB旅物語、各社を比較した中でビジネス利用で価格が安く、何より羽田空港を利用している点に惹かれました。
添乗員は原千春さん。原さんはベテランで、明るくいつもコロコロ笑っていましたが、大雑把な様で細かな目配りを欠かしません。

キャリアはANAで、座席の配列が1:2:1(機種はB777-300)なのに驚かされました。これですと両サイドの人は隣に人がいないのでストレスを感じません。窓側の人が通路に出るのに人をまたぐ必要もありません。女性が一人で利用するには最適だと言えましょう。
欠点は座席の操作ボタンの表示が小さすぎて見えにくいことです。
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飛行中、かなり頻繁に操作ボタンを押すので、これだけは不便でした。
機内食は洋食の魚料理をチョイス。写真は上から前菜1と前菜2、次いでメインです。アルコールはウィスキー、日本酒、白ワインを飲みましたが、いずれも結構な味でした。
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読書をしたり、ipodで落語を聴いたりしながら、眠くなると横になり、快適な時間を過ごしました。
到着前の食事は簡素ですが、パンが美味でした。
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機内食で和食を頼んだり、旅先で和食のレストランに行く人がいますが、気が知れません。美味いはずが無いし、和食は自宅に変えれば死ぬほど食べられるじゃありませんか。長期滞在ならともかく、通常の観光ツアーで和食を食べる必要性は感じませんが。

旅程は羽田11時30分発でフランクフルトに16時40分着。スイスはシェンゲン協定に加盟したので、ここで入国審査します。乗り継ぎでチューリッヒには19時20分の到着(日本との時差は7時間)。入国はフリーパスで、ホテルには21時前に入れましたので、この日程は楽ちんです。

スイスについて簡単に紹介しておきます。
地図は以下の通り。
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正式国名はスイス連邦、スイスの国土は4万k㎡あまりで九州よりやや小さな小国で、国土の80%が山岳部と言われています。ドイツ、フランス、イタリア、オーストリア、リヒテンシュタインに囲まれた内陸に位置しています。
26の州に分かれており、自治政府の力が強い。人口は800万人あまりで、首都はベルン。
宗教はローマンカトリック38%、プロテスタント27%、その他。
言語はドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語が公用語として認められています。この他、多くの人が英語を話します。
通貨はスイスフラン(CHF)。CHF1=約120円前後。現地での両替は制約があるので、日本で事前に両替しておいた方が良い。現地ではクレジットカードが使える店が大半です。
物価は高く、感覚的には日本の5割増し程度です。
飲料水は水道水が飲めます(ミネラルウオーターより美味)。
服装は、スイスでは高低差が大きいので温度の差も大きく、真夏なら平地ではTシャツでも平気ですが、3000m以上の高地で悪天候に見舞われると真冬の服装の準備が要ります。
高山病を避けるために飴やガムの用意や、水分の補給を欠かさずに。
トイレは観光地には共同便所がありますが(有料のケースあり)、都市部は少ないので注意が必要です。
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by kanekatu | 2016-07-14 11:05 | スイス | Comments(2)

バルト三国旅行記(2015/6/1-6/10)(1)出発

2015年6月1日より10日間、バルト三国に旅行してきました。パッケージツアーで旅行社は阪急交通社、添乗員は荻野昭博さん、参加者は23名、キャリアはJALです。
バルト三国というと大抵の人はどこの国?と訊いてきます。ユーラシア大陸の北西部ですし日本ともあまり深い縁のない国ですから止むをえません。相撲が好きな方は「確か把瑠都っていう力士の出身地だよな」と言う方もいますが、ピンポーン正解です。
バルト三国とは、バルト海の東岸、フィンランドの南に南北に並ぶ3つの国を指し、北から順に、エストニア、ラトビア、リトアニアです。
元大関の把瑠都はエストニアの出身で、引退後は故郷に戻り事業を行っているそうです。
大きな地図で位置関係を見てみましょう。
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バルト三国の地図は下記の通り。
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バルト三国を一括りに言われますが、もちろん別々の国で歴史も異なります。ただ中世にドイツ騎士団から侵略され壊滅的な打撃を受けたのと、ロシアとの関係が深いという共通点を持っています。18世紀頃には3国ともロシア帝国に編入されてしまいます。ロシア革命を機に3国は独立しますが、第二次世界大戦中の独ソ秘密協定によりソ連邦に組み込まれてしまいます。しかしソ連崩壊を機に独立の機運が盛り上がります。特に1989年8月23日に行われた3国の首都を結ぶ「人間の鎖」では600㎞を2百万人が手を結び、これで状況は急展開します。ソ連の弾圧に抗して国民が立ち上がり、それぞれが無血で独立を果たします(ソ連軍の銃撃で犠牲者は出ていますが武力抗争は起きなかった)。
現在は3か国ともに北大西洋条約機構(NATO)および欧州連合(EU)の加盟国、通貨もユーロです。EU加盟以前は国境での出入国審査や通貨の両替で時間がかかり周遊は大変だったそうですが、今はスイスイと通れてラクチンです。

コースは成田-ヘルシンキは航空機で、ヘルシンキ-エストニア間は船で、その後はエストニア-ラトビア-リトアニアへと進み、そこから逆のコースで戻ってきました。
成田空港の集合が8時30分と早く、遠い人は前泊したようです。
出発前のラウンジで赤ワインと日本酒を飲んで時間待ち。
成田-ヘルシンキ間はJAL、往きの航空機は新型のボーイング787で、この日が初飛行。ビジネスの座席が下の写真のように工夫されていて、窓際の人が通路側の人をまたぐことなく通路に出られるので楽です。また隣席との間のパネルが上下できるので、就寝時はプライベート空間が保てます。特に隣が異性だったりすると気を遣うこともあるので、これも改良点です。
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トイレもウオシュレットになっていてこれも快適です。
JALのビジネスに乗るのは20数年ぶりになりますが、当時と比べ機内の設備は格段に良くなりました。悪くなったのは客室乗務員の質でミスが多く、サービスはとても快適とは言えません。人件費のコストを下げた影響なのでしょうが、JALが他社に対抗しようと思うなら改善を要すると思います。
機内食は3種類で洋食はビーフかカツオ、他に和食があります。洋食のカツオを頼みましたが注文が多く変えてくれないかと言われましたが断りました。帰りの便でも同じことが起こり、この時は変更に協力しましたが、満席でもないのに材料の仕込みはどうなっているんでしょうか。この点もJALのマイナス評価です。
下の写真は機内食で、上から前菜、メイン、スイーツ、ヨーグルトとコーヒーの順です。味はマアマアといった所です。
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機内でシャンパン、赤ワインを2杯飲んでいい気持ちになり一眠り。座席はほぼフラットになるまで倒れるので安眠できました。
到着前の食事は数種類から選べたので山菜うどんを頼みました。
飛行時間は9時間半ほどでヘルシンキ空港に到着。現地はサマータイムなので日本との時差は-6時間です。

フィンランドの入国審査は手順が悪いようで1時間ほど待たされました。それでも船の出発まで余裕があり、バスでヘルシンキ繁華街の中心部にあるストックマンデパートに立ち寄り、地下のスーパーで今晩の食事と飲み物を買い込み。
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港へ。
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事前にスーツケースを預けて身軽になって乗船。タリンクシャトルは予定通り19時30分に出発、バルト海のフィンランド湾を渡って21時30分にエストニアのタリン港に到着。3国ともシェンゲン協定に入っているので改めて入国する際の手続きは要りません。
そこからバスで今日の宿泊ホテルに向かいチェックインを済ませて部屋に入れたのは22時30分ごろ。自宅からおよそ22時間以上かかった計算になります。シャワーを浴びた後、荷物の入れ替えなど時間がかかりベッドに入ったのは24時近くとなりました。
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by kanekatu | 2015-06-16 09:33 | フィンランド | Comments(0)

西バルカン6ヶ国周遊記(2014/5/25-6/5)1

2014年5月25日より12日間、西バルカンのボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、コソボ、アルバニア、マケドニアの6ヶ国を巡るツアーに参加してきました。
旅行社はクラブツーリズム、参加者は22名。
この地域は以前から行きたいと思っていたのでようやく念願が叶いました。
ただボスニアやセルビアなどでは5月中旬に100年ぶりという大雨による大洪水で多くの方が亡くなり、被災者100万人、20万人が避難生活を余儀なくされているという報道があり、催行が心配されていましたが、結果としては予定通り行動ができました。

かつて「バルカン半島は欧州の火薬庫」と称され、近世から20世紀末まで幾多の戦乱に巻き込まれてきました。
バルカン諸国の地図は下記の通りです。
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南からトルコ、東からロシア、北からハンガリー・オーストリア、西からはドイツといった周辺国からの脅威にさらされてきたのがバルカンの歴史です。
12世紀にセルビア王国が形成されますが1389年にオスマントルコに破れ支配下に入ります。
1877年の露土戦争でオスマンがロシアに敗れると再びセルビア王国が生まれるが、北からオーストリア=ハンガリー帝国の支配が拡がり、ボスニア・ヘルツェゴビナが併合されてしまいます。
これに反発した民族運動がおこり、1914年にオーストリア皇太子夫妻が青年ボスニア党のセルビア人にサラエボで暗殺される事件が起きます。これが発端で第一次世界大戦が勃発します。
1918年にオーストリア=ハンガリー帝国が崩壊すると、1929年にはセルビア人が中心の独裁制のユーゴスラビア王国が誕生しますが、クロアチア人の反発を買い、1934年にアレクサンドル国王が暗殺されてしまいます。
第二次世界大戦でドイツはユーゴスラビア王国を攻撃し王国は降伏、領土がドイツ、イタリア、ハンガリー、ブルガリアに分割されます。クロアチアを手に入れたドイツは傀儡国家のクロアチア独立国を築き、思うままにセルビア人やユダヤ人を迫害、虐殺します。
こうした中でユーゴスラビア人民解放軍が生まれ、パルチザン活動による抵抗運動を展開し、ドイツの敗北とともに指導者チトーを中心にした人民共和国が誕生、1963年にはユーゴスラビア社会主義連邦共和国に改称されます。
しかしソ連の崩壊、チトーの死を受けて、この共和国も崩壊、連邦各国の分裂が起き、内戦に向かって行きます。
これから後のことは、今後の記事の中で紹介してゆきたいと思います。

旅程ですが、5月25日22時30分発のトルコ航空0053便で成田空港を出発、およそ12時間でトルコのイスタンブール空港に26日5時に到着(日本との時差:6時間)、7時35分発のトルコ航空1017便に乗り継ぎ、コソボの首都プリシュティナ空港に8時10分に到着(時差:7時間)。
成田-イスタンブール間はビジネスを利用しましたので食事のメニューを紹介します。いずれもメインはチョイスでアルコールは飲み放題。
夕食のオードブル。
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生野菜を中心とした前菜。
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スープ。
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メインはチキン。酒はスペイン産赤ワインで通しました。
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朝食の前菜は生野菜とフルーツ。
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メインはスクランブルエッグとマッシュポテト。
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食事はまあまあでしたが、トルコ航空のサービスは頂けません。成田発のANAとのコードシェアー便であったにも拘らず、日本語を話せるCAが一人も搭乗していない。せっかくメニューが日本語表記されているのに、注文になると英語のメニューを通して行わねばなりません。
サービス面ではトルコ航空は失格です。

コソボの入国審査はパスポートの提示だけ。通貨はユーロが使用できるので楽です。
到着が朝で、これから即、終日観光になるので大変です。
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by kanekatu | 2014-06-11 19:06 | 旧ユーゴスラビア | Comments(2)

モロッコ旅行記(1)

2004年1月8日~15日、モロッコへのツアーに参加しました。旅行社は「JTB旅物語」、添乗員はベテランのIさん、参加者は19名で、内訳は家族などグループが13名、一人参加が6名。
成田発AF275便でパリで乗継、AF1496便でカサブランカ着というルートです。今回のモロッコ訪問で、サハラ以北の北アフリカ諸国を”制覇”したことになります。
「カスバの女」という曲に”ここは地の果てアルジェリア”という歌詞がありますが、北アフリカの西端にあるモロッコこそが日本から見れば”地の果て”の呼称にふさわしい。

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正式国名は「モロッコ王国」、東にアルジェリアと、南にサハラ・アラブ民主共和国(西サハラ)と、北にスペインの飛び地セウタ、メリリャに接し、西は大西洋に、北は地中海に面しています。首都はラバト。モロッコといえば直ぐに頭に浮かぶのがカサブランカですが、最大の都市ではありますが首都ではないんです。
映画『カサブランカ』、良かったなぁ。でもモロッコの人にはあまり評判が良くないそうですよ。フランスのモロッコへの支配には触れていないですから。
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面積は約46万k㎡(日本の1.2倍)と書かれていますが、モロッコ国内ではもっと広い面積として表示されています。その理由は実効支配している「サハラ・アラブ民主共和国(西サハラ)」をモロッコ領土に含めているからです。国際的には認められれいないし、この領土問題のためにモロッコは、アフリカ大陸唯一のアフリカ連合非加盟国となっています。どこの国でも領土問題というのは理屈では片付かない、やっかいな代物なのです。
人工は約3200万人、政体は国王を元首とする立憲君主制ですが国王の権力がかなり強い。民族構成はベルベル人60%、アラブ人など39%、欧州人1%。宗教はイスラム教(スンニ派)が国教になっています。公用語はアラビア語ですが、フランス語が通用していて、都市部ではスペイン語や英語を話せる人も多い。
通貨はディルハムDHで、レートは1DH=13円前後。

モロッコは古代にベルベル人のマウレタニア王国が建てられますが、紀元146年にローマ帝国の属州になり、8世紀に入ってウマイヤ朝が東方から侵攻し、イスラム化とアラブ化が進みます。やがてスペインを攻めアンダルシア地方をイスラム化しますが、13世紀に起きたレコンキスタ運動によりアンダルシア地方から追われます。
1660年にアラウィー朝が成立し現在まで続いています。アラウィー朝はヨーロッパからの脅威に応じて友好政策と鎖国とを繰り返してきましたが、1912年からフランスとスペイン両国による分割統治を受けることになります。
1956年にフランスから独立し、その後もスペイン保護領からの返還などもあり現在の姿に至っています。
今もフランスの影響は強く、現地ガイドによれば重要な法案はフランス政府と国王との間で相談して決めているとのこと。

モロッコの地図は下記の通りです。国土のほぼ中央をアトラス山脈がよこたわり、西北部の沿岸部と東南部の砂漠地帯とを分けています。中央付近の赤い丸が今回の観光地で、橙色で結ばれたコースに沿って時計回りにぐるりと周って来ました。
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今回はエールフランスのビジネスを使用しました。A380型の場合、ビジネスは2階になっていて、座席は2-2-2の配列です。最大リクライニングは180度ですから就寝時は完全に横になれます。10数時間の長旅では確かに楽ですね。横になっても座席が前に出るだけなので、後の席の人に影響しないのも良い点です。
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食事になると先ずテーブルクロスが掛けられ、オツマミセットとシャンパンが出てきます。
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次に前菜が出て、アルコールのオーダーが出来ます。ここでは白ワイン。
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メインはチョイスで、ここでは鶏肉料理を頼んでいます。
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終りはスイーツとコーヒーか紅茶。
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着陸前の軽食です。
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出発前にはビジネス専用ラウンジで休めますし、保安検査や出入国審査もビジネス専用でした。至れり尽くせりです。
欧州便の中では最もサービスが悪いと言われるエールフランスですが、わざとビジネスとエコノミーとの格差を大きくしてるんでしょうか。
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by kanekatu | 2014-01-25 11:34 | モロッコ | Comments(2)

ベネルクス三国旅行記(1)

2013年5月14日から7泊8日でベネルクス三国、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ周遊のツアーに参加しました。
旅行社はクラブツーリズム、添乗員はKさん。キャリアはKLMオランダ航空。
偉そうにいう分けではありませんが、エヘン、このツアーはビジネスクラスです。海外旅行に行き始めたころ以来ですから二十数年ぶりになります。他の参加者は「もうエコノミーになんか乗れないわよね~」という人ばかりで、普段なら張り倒してやりたいところですが、今回は「そうねぇ」なんて相槌を打っておきました。

ベネルクスについては「上りの」、つまり最後の海外旅行にと思っていたのですが、今回はモノの弾みで。
このコースはずいぶん前から催行決定になっていて、たまたまネットで見た時には残席1人と表示されていました。ビジネス指定としては費用が格安だったのと、オランダのキューケンホフ公園を観光するには今年最後の出発日となっていたのが人気の元だったんでしょう。
とにかく「残1」に惹かれてしまい、勢いで申し込んだのです。
ところがフタを空けてみたら、参加者は9人。定員が22名ですから後の人は一体どうなったんでしょうね。ともかくも9名というこじんまりしたグループで出発と相成りました。

チェックインではエコノミーの長蛇の列をすり抜けてビジネス専用カウンターで済ませます。
不思議なのは、成田空港の保安検査もビジネス専用があることです。
保安検査っていうのは公的なもんでしょう。それをビジネスとエコノミーで客を分けるというのは明らかにおかしいですよ。そう思ったのは私だけかも知れませんが。
そしてビジネス専用ラウンジへ。ユッタリとした椅子に座り、各種のアルコールやスナックも用意されていて至れり尽くせりのサービス。ここは貧乏性が出て、手あたり次第アルコールを試す。
ラウンジのスタッフから搭乗の用意が告げられ指定のゲートに行くと早速の優先搭乗。ストレスフリー。
こうした差別化により航空会社としては一人でも多くのビジネス客を増やしたいんでしょう。

シート配列は2-3-2、ピッチはエコノミーの約2倍、リクライニングはほぼ180度に倒せます。この点は確かに楽ですね。
CAから「ミスター00」と名前で呼びかけられます。これも客の自尊心をくすぐる仕掛け。
食事になると、先ずテーブルクロスが敷かれ前菜が出てきます。終わるとメインが出されます。食器は陶磁器でした。
ただ味の方は期待に反してエコノミー同等です。KLMのビジネスは和食が売り物ときいていましたので復路でチョイスしてみたのですが、これが和食か?と首をひねる中身でした。

海外ツアーではよく「00三国」という風に称する例がありますが、なかには「一纏めにするなよ」と言いたくなるケースもあるでしょう。例えば日中韓を「極東アジア三国」なんて纏められた日にゃお互い面白くない。
そこいくとベネルクス三国はEU統合以前から互いに国境を越えて自由に行き来していたそうです。
国土の広さはオランダが九州並み、ベルギーが四国並み、ルクセンブルグは神奈川県並みですから、こうしてみると日本は結構大きいんです。
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成田空港を昼過ぎに離陸、直行でオランダ・アムステルダムには午後6時過ぎに到着。
飛行時間は約11時間30分、時差は7時間。
入国審査はパスポートのみ、1日目の宿泊はスキポール空港の近くの「ノボテル・エアポート」です。
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by kanekatu | 2013-06-06 10:03 | ベネルクス | Comments(4)

憂きな中にも旅の空


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