南部アフリカ旅行記 その7
2007年 07月 19日
私も幾人かの人から薦められて、今回のツアー参加になったのですが、共通していたのはナミブ砂漠の魅力でした。
ナミブ砂漠は 世界で最も古く美しい砂漠といわれ、ナミビアの大西洋側に幅が最大で140km、長さはおよそ1500kmに及ぶ細長い砂漠です。
典型的な海洋性砂漠で、大西洋を北上する冷たいベンゲラ海流の影響で、年間の降水量は50mm以下と少なく、かつ南西からの吹きつける強い風により、大地が砂漠へと変化したものと考えられています。
砂漠には高さ300m級の大きな砂丘が無数に連なっていますが、その中でもワルビスベイに近く、その姿が美しいことで知られる砂丘、デューン7を見に行く事になりました。
ナミブ砂漠全体は、砂の色が褐色に近いのですが、ここは茶色です。
砂丘のテッペンに登り始めたのですが、たった300mでもこれが容易ではありません。
何せ足元が砂ですから、踏ん張ろうと思っても足先がズルズルと砂にもぐってしまい、力が入らない。
何とか半分くらいの高さに達したところで撮った画像ですが、美しさは実感して頂けると思います。

もうすぐ砂丘のテッペンです。
結局両手両足を使って、四つん這いで昇るのが一番と分かりました。恰好なんで気にしていられませんね。
他の人が足を踏み入れる前に撮影しなくてはならないので、大変です。

以下は、砂丘の頂上から撮影したもので、見ていてウットリするような光景が拡がっています。



私たちはいよいよナミブ砂漠に向かう事になりますが、その前に砂漠観光の拠点ともいうべき、スワコプムントの町に立ち寄ることになりました。
スワコプムントはナミビア第二の都市ですが、それでも人口は2万5000人ですから、いかにこの国は人が少ないか分かります。
ドイツ植民地時代の面影を残す古い建物がある一方、ナミビアを代表するリゾート地らしい洒落た店が並んでいます。


海岸線に沿って遊歩道が整備されています。

椰子の並木が、この町の落ち着いた佇まいを演出しています。


ここからは、ナミブ砂漠の中心に向かって、一路ひた走ることになります。
南部アフリカ旅行記 その6
2007年 07月 16日
ワルビスベイは名前のごとく湾になっていて、ここを小さな船でクルージングすることになりました。
船の名前から“MOLA MOLAクルーズ”といいます。
写真中央が陽気でサービス精神タップリの船長、左隣はとても親切な現地ガイド兼バスのドライバーです。
彼は元々がドイツ人で、奥さんはフランス人、南アフリカで生まれ、ジンバブエで育ち、今はナミビアで暮しているとか。
さあ、私は一体ナニ人でしょうか? と言ってました。
ワルビスベイに滞在している時、ちょうど父の日に当たったのですが、彼の娘さんがプレゼントを持ってホテルに会いに来てました。親孝行ですね。

船が桟橋を離れて間もなく、アザラシが甲板に上がってきました。
船長とは顔馴染で、この船を見つけると猛スピードで追いかけてきて、船内に入ってきます。
これだけ近くでアザラシを見るのは初めてですが、とても可愛らしい目をしていて、愛嬌モノです。

ここはアザラシたちが住んでいる島で、数万頭が棲息しているそうです。
これだけ沢山いると、ちょっと気持ち悪い。

海面に浮かぶブイの上で昼寝するアザラシたち。

この辺りは鳥の保護区となっていて、黒く見えるのは全て海鳥ですから、数は想像もつきません。

船内でおやつに出された生牡蠣です。ここで養殖しているもので、新鮮で実に美味。

ペリカンのカップルです。
手前がオスで、向こうがメス。皆さん分かりますか。

小魚を投げてやると、大きな口をあけてキャッチ。その姿が愛らしいですね。

イルカも沢山います。
ジャンプの瞬間を撮ろうとしましたが、上手く行きません。

桟橋の近くには、ご覧の通り沢山の船がいます。

船から上がって近くのラグーンへ。
ここではフラミンゴが見られます。

ワルビスベイはナミビアでも有数のリゾート地なので、海岸線に沿って高級別荘が立ち並んでいます。
家の前が直ぐ海なので立地抜群ですが、写真のような住宅の規模で、およそ価格は6千万円くらいとか。

海水から塩を製塩していました。
なぜこれを見に行ったのかワケがありまして、クルーズで船長が遥かかなたを指差して、「あの白い塊は、海流の影響でこの港に漂着した南極の氷で、大騒ぎになっている」と説明がありました。
現地ガイドも珍しいから是非見に行こうと、連れてこられたのがここです。私たちは船長とガイドにまんまと一杯食わされたというワケです。
塩が夕陽の染まってピンク色になっています。

水平線に太陽が沈んでゆきます。
ワルビスベイでの楽しい一日が終わりました。

南部アフリカ旅行記 その5
2007年 07月 13日
南アフリカ諸国間の移動は、全て南アのヨハネスブルグを経由しますので、全部で5回この空港を離着陸することになります。
4番目の訪問国ナミビアに向かい、2時間弱で首都のウイントフック空港に到着しました。
正式国名はナミビア共和国で、国内にあるナミブ砂漠にちなんで付けられたものです。
先住民はコイ・サン族と呼ばれる人々でしたが、14世紀にバンドゥー族が侵入して支配します。
1884年に、南西アフリカと称してドイツの保護領となります。
第一次大戦後の1915年からは、南アフリカ連邦(現在の南アフリカ共和国)の委任統治領として、支配下に入りますが、この状態は第二次大戦後まで続きます。
その期間は南アのアパルトヘイト政策のため、黒人達は隔離されます。
その後、国際世論と、ナミビア国内の独立運動の高まりにより、1990年になってようやく独立を達成します。
産業は、ダイヤモンドと亜鉛が主力の鉱業、牧畜などです。
他の南部アフリカ諸国同様に、公用語は英語、宗教はキリスト教徒が大半です。
空港の待合室で出会った、ヘレロの女性たちです。
ナミビアの先住民の一つにヒンバ族がありますが、ヨーロッパ文明が入って来た時、ヒンバの伝統的な文化を守る人たちはヒンバ続として、今でも男女とも上半身裸の生活を送っています。
それとは反対に、ヨーロッパ文明を受け入れて都会に住む人々も現れました。それがヘレロです。
頭にかぶる独特の頭巾が特徴です。
最初、カメラ撮影を断られましたが、空港の関係者が親切に口添えしてくれて、撮影OKとなりました。

ウイントフック空港から目的地ワルビスベイまでは、バスでおよそ6時間、ひたすら走ります。
真っ直ぐな道の遥か彼方に夕陽が沈んでいきます。

この国とにかく人が少ない。
バスで走っていても、30分近く1台の車ともすれ違わないということもザラです。
時々人影を見つけて、「あ、人がいる。」、そんな感じです。
なにせ国土が日本の2.2倍なのに、人口は約200万人ですから、ユッタリしています。
途中カリビブという街で、トイレ休憩をかねてガソリンスタンドに寄りました。
トイレが少なく混んでいたので、近くの草むらで立ちションしていたら、スタンドのお兄さんから「そこはダメ、トイレを使え」と注意されてしましました。
なかなかマナーが厳しいですね。
でもその後、一緒に肩を組んで記念撮影です(一人見苦しい人の顔を消しています)。

すっかり陽が落ちると、バスの進行左側30度の辺りに、南十字星が鮮やかに見えました。
天の川も。
漆黒の大空には星が大きく輝いていて、天体ショーを見ているようでした。
夜になって、ようやくホテルに到着です。
前の晩は暗くて何も見えなかったので、翌早朝に起きてホテルの周辺を散歩しました。
宿泊ホテル「ペリカンベイ」は全室海側(大西洋)に面しており、1階はベランダから直接海辺に出られます。
目の前は大西洋です。

夜明け前の大西洋です。
左側の施設は、海鳥の餌付けをする場所です。

次第に夜が明けてきました。
薄紅をさしたような空が、海面に映っています。

大きな椰子の葉に、朝日が差し込んできました。

ナミビアでの最初の朝を迎えました。